学術論文_要旨

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高田 明 (2016). 養育者−子ども間相互行為における「責任」の形成. In 高田 明・嶋田 容子・川島 理恵(編) (2016) 子育ての会話分析:おとなと子どもの「責任」はどう育つか. 京都: 昭和堂, pp.1-26.
Takada, A. (2016). Cultural formation of responsibility in caregiver-child interactions. In Takada, A., Shimada, Y., and Kawashima, M. (Eds.). (2016). Conversation analysis on child rearing: How does “responsibility” of adults and children grow? Kyoto: Showado, pp.1-26. (in Japanese)

子どもが言うことを聞いてくれないときは,どうしたらいい? もう怒らないって決めたのに,ついカッとなって…….子育ての日常には,そんな小さな悩みが繰り返し現れる.育児・保育の教科書はたくさん出版されているが,こうした悩みに対する答えはほとんどない.あったとしても,何かピントがずれている.あるいは,悩みそのものが別の言葉でいいかえられて,何だかはぐらかされた気がしてしまう.今まさに悩みの渦中にある養育者,そして子どもの揺れる心に響くことはまれだ.これは,そうした教科書の多くが,子どもを周りの人々から切り離して捉えていることによる.近年に出版された育児や保育の教科書の多くは,心理学的,医学的な研究に基づいている.これらの研究は20 世紀の後半から急速に発展してきたもので,たいてい条件を操作した対照実験を行って,条件ごとの子どもの反応を比べるというアプローチをとっている.こうしたアプローチの背景には「方法論的個人主義」,つまりその分析の単位を個体に求めるという思想がある.したがって,その成果に基づく教科書で個人としての子どもに焦点があたることは,むしろ当然の帰結といえよう.たとえば「子どもの発達」や「言語獲得」といったトピックは,そういった子どもを個人として扱う子ども観を反映している.こうした子ども観から導かれる育児や保育の教科書は,必然的に子ども中心のものとなり,科学の名のもとに「子どもの発達」や「言語獲得」を促す指南書のようなかたちをとりやすい.これは啓蒙的かつ規範的ではあるが,それゆえ実際に出産や育児に携わっている養育者の個別の事情や視点は反映されにくい.したがって,養育者にはしばしば息苦しさをもたらす.これに対して本書のもととなった研究は,子どもと養育者の間で形作られ,子育ての日常を支えているリアリティを真っ向から解きほぐそうとする.そのため「関係論的アプローチ」,すなわち子どもと養育者との関わり(相互行為)を分析の単位とするアプローチから,子育ての日常そのものに切り込む.私(編者の1 人である高田)は,こうした研究が上述した息苦しさから養育者を解放し,さらに養育者の経験的な知を見直すきっかけとなると考えている.

遠藤智子・高田 明 (2016). 言うこと聞きなさい: 行為指示における反応の追求と責任の形成. In 高田 明・嶋田 容子・川島 理恵(編) (2016) 子育ての会話分析:おとなと子どもの「責任」はどう育つか. 京都: 昭和堂, pp.55-75.
Endo, T. & Takada, A. (2016). Listen what I say: Pursuit of responses and formation of responsibility in directive sequences. In Takada, A., Shimada, Y., and Kawashima, M. (Eds.). (2016). Conversation analysis on child rearing: How does “responsibility” of adults and children grow? Kyoto: Showado, pp.55-75. (in Japanese)

日々の生活の中のさまざまな活動においてさまざまな活動を子どもと共に行う際,大人が子どもに行為を指示することは決して少なくない.子どもは必ずしも指示に従わないが,大人はそれを放置するわけにはいかない.ときには指示の仕方を変えることで,子どもに言うことを聞かせる.そのやり方はさまざまであるが,どのやり方にも,大人が子どもを社会の一員として迎えようとする姿勢が反映されているものである.本章は会話分析の手法を用い,会話のやりとりの中で子どもへの指示がどのように達成されるのかを明らかにする.使用される言語形式に着目しつつ,子どもが養育者の指示に従わなかった際,養育者がどのように言語形式を変化させて反応を追求するのかを分析する.そして,養育者は子どもの自主性を最大限に尊重しつつ,家族の活動を共に行うものとして子どもに指示を与えるものであることを示す.

川島理恵・高田 明 (2016). 家族をなすこと: 胎児とのコミュニケーションにおける応答責任. In 高田 明・嶋田 容子・川島 理恵(編) (2016) 子育ての会話分析:おとなと子どもの「責任」はどう育つか. 京都: 昭和堂, pp.171-198. (in Japanese)
Kawashima, M. & Takada, A. (2016). Making a family: Response responsibility in communication with fetuses. In Takada, A., Shimada, Y., and Kawashima, M. (Eds.). (2016). Conversation analysis on child rearing: How does “responsibility” of adults and children grow? Kyoto: Showado, pp.171-198.

第2子の受胎,そのとき上の子ども中心でいた家族は,大きな変化を経験し始める.喜びや楽しさと同時に,その関係性の変化に対する不安が芽生える.家族のメンバーはみな生まれてくる赤ちゃんと関わるようになるが,その関わり方はそれぞれの立場によって異なる.たとえば母親となる女性は,ある時期から胎児の動きを感じ,その存在に直接触れるようになる.一方,きょうだいとなる年長の子どもは,妊婦のように身体的に胎児の存在を感じることはなく,これから生まれてくる赤ちゃんはまだ想像の域にいる.胎児は,超音波装置などの医療機器を使う場合を除き,通常はその外見を目にすることのないもの,いいかえれば見えない存在である.その見えないけれど存在している「お腹の赤ちゃん」と家族メンバーはどうやってコミュニケーションをとっていくのだろうか,そしてそれは家族メンバーの関係性をどのように再編していくのだろうか? この章では,とくに妊婦とその子どもの相互行為に焦点をあて,そこにお腹の赤ちゃんがどのように参与しているのかについて考えてみたい.

先崎沙和・増田貴彦・高田 明・岡田浩之 (2016). 4−9歳児の児童と親の会話から見る文化とこころの発達II. 京都大学乳幼児発達研究グループ(編), 2015年度赤ちゃん研究員活動・成果報告書, 京都大学乳幼児発達研究グループ, pp.69-70.
Senzaki, S., Masuda, T., Takada, A., & Okada, H. (2016). Development of mind seen from conversation between 4 to 9-year-old children and the parents II. In Research group on the development of infants and toddlers, Kyoto University (Ed.), The annual report for the baby scientists, fiscal Year 2015. Research group on the development of infants and toddlers, Kyoto University, pp.69-70. (in Japanese)

この研究では、子ども達が親子のコミュニケーションを通して、どのように文化特有の注意の向け方、すなわち「ものの見方」について学んでいるかを調べました。私たち人間の住む環境には、膨大な情報量が含まれています。その環境に適した行動をとるためには、自分のまわりの状況がどうなっているのかを常に把握していなければなりません。しかし、私たちはすべての情報を知覚しているわけではありません。たとえば、目に入っていても、こころにはとまっていない情報がたくさんあります。つまり私たちは、多くの情報のなかから「注意」によって自分に必要な情報だけを選び出しています。成人で行われた研究によると、注意の向け方は、人々が生まれ育った文化により異なることがわかっています。たとえば、アメリカ・カナダなどの北米文化圏で育った大人は、呈示された画像のなかで中心的な人物や動物を見出し、注目するのに対し、日本をはじめとした東アジア文化圏で育った大人は、出来事の中心にある情報のみならず、背景情報にまで目を向ける傾向があります。そこで、今回の研究では、このような文化特有のものの見方が、どのように学習されていくのかについて調べました。子ども達は、さまざまな人々と関わりながら文化や社会の基準を学んでいくと考えられますが、今回はその中でも特に影響が強いと考えられる、親子のコミュニケーションに焦点をあて、日本とカナダで文化比較研究を行いました。

藤岡悠一郎・高田 明 (2016). 国家と伝統的権威:現代に息づく「伝統」. 水野一晴・永原陽子(編著), ナミビアを知るための53章. 東京: 明石書店, pp.156-159.
Takada, A. (2016). State and traditional authority: “Tradition” living in the contemporary society. In K. Mizuno & Y. Nagahara (Eds.), 53 chapters to understand Namibia. Tokyo: Akashi Shoten, pp.156-159. (in Japanese)

ナミビアの新聞を読んでいると「伝統的指導者(Traditional Leader)」や「伝統的権威(Traditional Authority)」という言葉をしばしば目にする。この言葉が用いられるのは、おおむねエスニシティと政治との結びつきを問題にした記事である。例えば、2009年3月13日付の大衆紙ナミビアンには、ある政党が伝統的指導者 をリーダーとすることでエスニシティを政治に利用しているとして、別の政党の代表者が批判したことが記事となっている。現代のナミビアにおいて伝統的指導者や伝統的権威という言葉の持つ意味を理解するためには、歴史をさかのぼってその背景を知る必要がある 。なぜなら、これらの言葉はナミビアの長い植民地支配の歴史のなかで施政者が都合よく使用してきたもので、その意味にはそうした歴史が反映しているからである。

高田 明 (2016). 解放運動とサン. 水野一晴・永原陽子(編著), ナミビアを知るための53章. 東京: 明石書店, pp.143-145.
Takada, A. (2016). Liberation movement and San. In K. Mizuno & Y. Nagahara (Eds.), 53 chapters to understand Namibia. Tokyo: Akashi Shoten, pp.143-145. (in Japanese)

1960年代から活発になった南アフリカからの独立を目指す「解放運動」では、SWAPOが中心的な役割を担った(19章参照)。これに対して南アフリカ軍は、サンを斥候として積極的に軍隊に登用するようになった(16章参照)。ただし、SWAPOの支持基盤があったナミビア北中部(オバンボランド)では、SWAPOを支持するサンも少なくなかった。ここでは解放運動とサンの関わりについて考えるため、そうしたサンの一人、Jのライフストーリーを紹介する。

高田 明 (2016). ナミビアのフィンランド人宣教師. 水野一晴・永原陽子(編著), ナミビアを知るための53章. 東京: 明石書店, pp.347-349.
Takada, A. (2016). Finnish missionaries in Namibia. In K. Mizuno & Y. Nagahara (Eds.), 53 chapters to understand Namibia. Tokyo: Akashi Shoten, pp.347-349. (in Japanese)

ナミビアは1990年に独立した新しい国である。それ以前は南西アフリカと呼ばれ、1884年からドイツ、第一次世界大戦後からは南アフリカの支配下にあった。ナミビアが独立に至った経緯には、フィンランド伝道協会(FMS)が深く関わっている(28章参照)。FMSは19世紀後半からナミビアで活発な布教活動を行うようになったが、この時期にはFMSの母国フィンランドでも独立をめぐる闘争が繰り広げられていた。フィンランドは1809年から自治国としてロシアの影響下におかれていた。しかし、ヨーロッパにわき起こった民族自決主義を反映して、19世紀後半にはフィンランド語の地位向上などを求める民族主義運動が盛んになった。この運動は、1917年のフィンランドの独立につながった。このコラムでは、FMSが活動を開始した当初にナミビアに渡り、その後の人生の大半を現地での布教活動に捧げたフィンランド人宣教師、マーティン・ラウタネンの足跡を紹介する。これを通して、ナミビアとフィンランドのユニークな関わりに思いをはせてみたい。

高田 明 (2016). 先住民の歴史:サンから見たナミビア北部の地域史. 水野一晴・永原陽子(編著), ナミビアを知るための53章. 東京: 明石書店, pp.115-118.
Takada, A. (2016). History of indigenous people: Regional history of Northern Namibia form the perspective of San people. In K. Mizuno & Y. Nagahara (Eds.), 53 chapters to understand Namibia. Tokyo: Akashi Shoten, pp.115-118. (in Japanese)

サンの言語は、コイコイの言語と類縁関係にあり、両者はコイサン諸語と総称される。サンとコイコイには身体的にも類似する点が多く、共通の起源が推測されるが、その関係の歴史についてはわかっていないことも多い。このうちサンは、狩猟採集を主な生業としてきた南部アフリカの先住民で、「ブッシュマン」とも呼ばれる。サンについては、その狩猟採集に基づく遊動生活と関連づけてじつに多くの研究がなされてきた(「V-44. 狩猟採集民サンの生業と社会」を参照)。ナミビアには、現在も隣国のボツワナと並んで多くのサンやコイコイが住んでいる。本章ではそのうち、これまであまり注目されてこなかった同国北中部(後に植民地政府から「オバンボランド」と呼ばれることになった地域)におけるサンの歴史について概説する。

高田 明 (2016). 狩猟採集民サンの暮らし:カラハリをめぐる論争. 水野一晴・永原陽子(編著), ナミビアを知るための53章. 東京: 明石書店, pp.302-305.
Takada, A. (2016). Livelihood of San hunter-gatherers: The great Kalahari debate. In K. Mizuno & Y. Nagahara (Eds.), 53 chapters to understand Namibia. Tokyo: Akashi Shoten, pp.302-305. (in Japanese)

サンは南部アフリカ一帯の先住民だとされ、多くの地域・言語グループからなる。ナミビアには現在も、隣国のボツワナと並んで多くのサンが住んでいる。西欧社会では、サンは古くから藪の人、すなわち「ブッシュマン」として知られていた。現在でも観光などの文脈では、この「ブッシュマン」としてのイメージに沿ったサンの姿がしばしば見られる。また、その狩猟採集に基づく遊動生活と関連づけて、サンについては実に多くの研究がなされてきた。ただし、研究者がサンについて抱くイメージは、研究のトレンドを反映して変転しつつある。この章では、そうした研究が最も集中して行われてきたサンのグループであるジュホアンに焦点をあて、その生業と社会をめぐる研究史を紹介する。

高田 明・パックストン美登利 (2016). エトーシャ国立公園. 水野一晴・永原陽子(編著), ナミビアを知るための53章. 東京: 明石書店, pp.91-93.
Takada, A. (2016). Etosha national park. In K. Mizuno & Y. Nagahara (Eds.), 53 chapters to understand Namibia. Tokyo: Akashi Shoten, pp.91-93. (in Japanese)

エトーシャ国立公園はその設立を1907年に遡る。設立当初(第2動物保護区という名称だった)は、エトーシャ・パンから大西洋岸まで88,000km2もの領域を覆う、世界最大規模の保護区であった。その後の政策の変化に伴ってその面積は段階的に減じた(現在では23,000km2ほど)が、現在でもナミブ・ナウクルフト国立公園と並んでナミビアでも最大規模を誇る国立公園である。

高田 明・山川早弓 (2016). 教会と国家:ナミビア北部(オバンボランド)におけるキリスト教の浸透. 水野一晴・永原陽子(編著), ナミビアを知るための53章. 東京: 明石書店, pp.196-200.
Takada, A. (2016). Church and State: Penetration of Christianity in Northern Namibia (Owamboland). In K. Mizuno & Y. Nagahara (Eds.), 53 chapters to understand Namibia. Tokyo: Akashi Shoten, pp.196-200. (in Japanese)

ナミビアの歴史、政治、文化、さらには人々の日常生活において、キリスト教が果たしてきた影響は極めて大きい。現在、ナミビアでは人口(約230万人)の90%近くをキリスト教徒が占める。ルター派、カトリック、メソジスト、英国国教会など、多くの宗派があり、そのほとんどはキリスト教会をとりまとめるナミビア教会評議会(CCN)に属している。最大の宗派はルター派で、中でも最もメンバー数が多いのは、北中部のオニパに本部を置く、ナミビア福音ルター教会(Evangelical Lutheran Church in Namibia:ELCIN)である(68万人/2008年時点.写真1)。その理由は、国内人口の約半数をしめる民族であるオバンボの大多数がこの教会のメンバーであることだ。ELCINは2つの教区に広がる126の教会からなり、各教区に1人(計2人)のビショップ(監督)と203人の牧師(うち現役153人・退職50人)を抱える。本章では、おもにこのELCINに焦点をあてながら、ナミビア北中部(後に植民地政府から「オバンボランド」と呼ばれることになった地域)がキリスト教化していった歴史的経緯について紹介する。

高田 明 (2015). 暮らしのなかの子育て. 道信良子(編), いのちはどう生まれ、育つのか: 医療、福祉、文化と子ども. 岩波ジュニア新書. 東京: 岩波書店, pp.107-119.
Takada, A. (2015). Child rearing in everyday life. In R. Michinobu (Ed.), Life and nurturing: The influence of contemporary medicine, social welfare and culture on today’s children. Iwanami paperback pocket edition series. Tokyo: Iwanami Shoten, pp.107-119. (in Japanese).

このエッセイでは、子育てをめぐって起こる些細なやりとりをときほぐすことで、あたりまえの日々のなかで展開するドラマチックな感動を、当事者の視点によりそいながら理解しようと試みました。本書の他の章やコラムでも示されているように、私たちの町から遠く離れた国や小さな島にも、こうしたあたりまえの日々は広がっています。晴れた空に響く歓声も、人生から色と臭いを奪ってしまうような苦しみも、その背後にあるたくさんの出来事のつながりに支えられています。そうしたさまざまな日常に思いをめぐらせることは、私たち自身の人生をみつめなおすことにつながるのでしょう。

高田 明・川島理恵 (2015). お腹の赤ちゃんをめぐるコミュニケーション(2). 京都大学乳幼児発達研究グループ(編), 2014年度赤ちゃん研究員活動・成果報告書, 京都大学乳幼児発達研究グループ, pp.49-50.
Takada, A. & Kawashima, M. (2015). Communication over the unborn baby(2). In Research group on the development of infants and toddlers, Kyoto University (Ed.), The annual report for the baby scientists, fiscal Year 2014. Research group on the development of infants and toddlers, Kyoto University, pp.49-50. (in Japanese)

お腹の赤ちゃんをめぐるやりとりは、これから生まれてくる赤ちゃんに対する関わり方を家族のメンバーたちが相互に調整し、それまでの家族関係を再編するプロセスでもあります。それぞれの親と子の関係には、あらかじめ定まった見取り図はありません。家族になるプロセスは、家族のひとりひとりが手探りのおこないを積み重ねるなかで、一歩ずつ進んでいくものなのです。そうした些細なやりとりをときほぐすことは、あたりまえの日々のなかで展開するドラマチックな感動を、当事者の視点によりそいながら理解することにつながるでしょう。

Takada, A. (2015). Re-enacting birth: The spread of the chebama treatment among the G|ui and G||ana. 寺嶋秀明(編), 交代劇 A-02班研究報告書, No.5. 狩猟採集民の調査に基づくヒトの学習行動の実証的研究. 兵庫: 神戸学院大学人文学部, pp.53-62.
Takada, A. (2015). Re-enacting birth: The spread of the chebama treatment among the G|ui and G||ana. In H. Terashima(ed.), Empirical study on human learning behavior based on the researches of hunter-gatherers: Research report of A-02 group, Replacement of Neanderthals by Homo sapiens, No.5. Hyogo: Department of Humanities, Kobe Gakuin University, pp.53-62.

In this paper, I will demonstrate how the G|ui and G||ana are practicing the chebama treatment, which symbolically reiterates birth, with reference to their socio-cultural situations in order to elucidate how indigenous medical knowledge diffuse within and across ethnic groups. The G|ui and G||ana, two neighboring groups of San, have been marginalized within the regionalized social structure of Botswana. Although they perform relatively few religious services or ceremonies, they do engage in various preventive and curative treatments that have a number of ritualistic aspects. One remarkable example is the chebama treatment, which was transmitted from the neighboring Kgalagadi people and is used as a treatment for abnormal delivery (Imamura 2010). Abnormal birth is thought to lead to chest disease in the parents and child after birth. To avoid this, based on their folk pathology, they engage in the chebama treatment. In 1997, the Botswana government relocated most of the G|ui and the G||ana to outside their traditional living area. The chebama treatment became widely practiced in the new settlement. In this context, the chebama treatment should be understood not simply as a treatment for abnormal delivery but also as a means of addressing broader discords in social relationships that have arisen in the new settlements. Moreover, the practices were influenced by a number of demographic and socioeconomic conditions, such as increased access to cash income. The chebama treatment, through which people symbolically re-enact birth, is thus an attempt to contend with the social anxiety associated with resettlement. The G|ui and G||ana have used this treatment to re-establish their moral ideals in the face of ‘modernization’ policies.

高田 明 (2015). 社会的状況における教育と学習:セントラル・カラハリ・サンの事例から. 赤澤 威(編), ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相: 学習能力の進化に基づく実証的研究 第10回研究大会プロシーディング, p.72.<http://www.koutaigeki.org/pub/pdf/proceedings/No.10.pdf>
Takada, A. (2015). Education and learning during social situations: With special reference to the San of the Central Kalahari. In T. Akazawa(ed.), Proceedings of the 10th general meeting of Replacement of Neanderthals by Homo sapiens, p.72.<http://www.koutaigeki.org/pub/pdf/proceedings/No.10.pdf>

サンを含む狩猟採集社会は,子どもの社会化研究において重要な位置をしめてきた.これはおもに,狩猟採集社会の特徴がヒトの子育ての本質についての議論と関連づけられてきたからである.しかし,実際にサンの日常的生活のなかで教育や学習がどのように生じるのかについて,実証的な分析を行った研究はほとんどない.そこで本研究では,ボツワナに住むグイおよびガナ(セントラル・カラハリ・サン)を対象として,養育者と乳児が授乳と「ジムナスティック」に従事している場面および歌/踊り活動において子どもがお互いに模倣しあう場面で生じている相互調整について相互行為分析を行い,ヒトの教育と学習に関する多くの研究の背後に想定されているいくつかの前提を再考する.本研究の分析は,文化的に特徴的な活動において相互行為の参与者がどのように協力し,行為を調整しあっているのかを明らかにする.上記の場面では,経験豊かなものとそうでないものがともに社会的状況に参加するなかで,相互行為の連鎖を協同的に組織している.こうした組織化のプロセスを特徴付けているダイナミクスは,ヒトの教育と学習の基盤となっている.さらに,本研究でもちいたアプローチとその分析結果は,能力についての個人主義的な見方に再考をうながすものである.
Hunter-gatherer societies, including groups of the San, have occupied a particularly important place in research on child socialization. This is principally because the features of hunter-gatherer societies have been associated with discussions about the nature of human child rearing. However, few studies have empirically analyzed the education and learning that actually occur during the everyday life of the San. To reconsider several of the premises underpinning most approaches to human education and learning, I performed an interaction analysis of the mutual accommodation that occurs while caregivers and infants engage in nursing and ‘gymnastic’ behaviors, and the process by which children imitate each other during singing/dancing activities among the G|ui and G||ana (Central Kalahari San) living in Botswana. This analysis clarifies how participants in interactions align and affiliate with each other during culturally distinctive activities. These dynamics serve as a foundation for the education and learning that is inherent in collaboratively organized sequences of interactions, by means of which experienced and inexperienced people participate in social situations, such as those listed above. The approach adopted in this paper also facilitates reconsideration of the individualistic perspectives on ability.

高田 明 (2015). ヒトとチンパンジーの相互理解. In 木村大治(編), 動物と出会うI: 出会いの相互行為. 京都: ナカニシヤ出版, pp.190-191.
Takada, A. (2015). Mutural understanding between human and Chimpanzee. In D. Kimura (ed.), Encountering animals I: Analysing encounters. Kyoto: Nakanishiya, pp.190-191. (in Japanese)

ヒトとチンパンジーがやりとりに用いる資源は,部分的(例えば視線や姿勢)にはオーバーラップし,それ以外(例えば,言語)は異なるであろう.何が利用可能な資源となるかは,その環境によって制約を受ける.飼育下のチンパンジーは,おおむねヒトが設定した環境の中でヒトのリズムに合わせて行為し,ヒトもまたチンパンジーのリズムに合わせて行為しようとしている.その個人的な歴史を積み重ねるうちに,GARIのヒトとチンパンジーは,種の違いにもかかわらず共通の文脈を形成するに至っている.ヒトがチンパンジーに帰属する「能力」の多くは,こうしたインタラクションの中で形成され,ヒトによって知覚された行為のパターンなのであろう.一方,HTと大人のチンパンジーたちのやりとりには,そうした歴史がまだないことが見て取れる.こうしたやりとりがどのように組織化されているのかを分析していくことは,菅原和孝,北村光二らが切り開いてきた,「みずからの経験の直接性に還りながら,その中にひそむ「自然」と「社会」の深い癒合を解きほぐす(菅原 2002)」ことに連なる営みであり,ヒトとチンパンジーの境界を再び引き直すことにもつながるであろう.

高田 明 (2014). ポスト狩猟採集社会と子どもの社会化. 池口明子・佐藤廉也(編), ネイチャー・アンド・ソサエティ研究 第3巻: 身体と生存の文化生態. 滋賀: 海青社, pp.225-249.

この論文の目的は、ポスト狩猟採集社会における環境の変化に伴って子どもの社会化における特徴がどう再編されるのか、私が調査地としてきたナミビア北中部に住むクン・サンの事例に基づいて論じることである。定住化・集住化は、クンを社会化する自然環境・社会環境に離乳食の利用可能性の増加、移動性の減少、生産・消費の単位の縮小、近接して居住する子ども数の増加などの変化をもたらした。こうした変化に直面し、クンは日常的なコミュニケーションのスタイルを再編していったと考えられる。まとめでは,クンとジュホアンにおける養育行動の構造的な類似点と相違点について考察することを通じて,エコロジーや生業活動は行動パターンや親の信念体系を組織化するための資源を提供するというモデルを提示する。

高田 明 (2013). 行為の堆積を知覚する: グイ/ガナのカラハリ砂漠における道探索実践. 片岡邦好・池田桂子(編), コミュニケーション能力の諸相: 「共創能力」を考える. 東京: ひつじ書房.

本論文では,ブッシュでの運転,たき火を囲んでの道案内,土地の名前に関する物語り,狩猟行での移動ルートの説明といった,道探索実践に関わるグイ/ガナ の発話イベント(Hymes 1972)を分析した.こうした発話イベントはその参与者にGoffman(1964: 135)のいう社会的状況を提供する.道探索実践に関わる発話イベントは,予めプランや結果が定められているものではなく,その場の状況と応答しながら 徐々に展開されていく.発話イベントの展開過程では,参与者間の相互行為によって,歴史・文化的に蓄積されてきた意味が共有される.相互行為において共有 される意味は,様々な記号論的資源を源泉としている.ただし記号論的資源によって自動的に行為の意味が定まるわけではない.行為者の主体性が意味を生成す る鍵となる.また,記号論的資源とそれを活用して行われる行為の間には再帰的なリンクが存在する.こうして環境との関わりを深めていく過程は,環境を利用 するというよりは,環境と対話を続けることである.また本章で例にあげたような発話イベントは,様々な立場の人々を社会的な状況に巻き込み,組織化する. その分析には参与枠組み(Hymes 1972; Goffman 1981)という次元を導入することが有効である.本論文を含む人類学者による研究は,(1)教師にあたる個人による一般化しうる知識の明示的な表明,お よび(2)生徒にあたる個人による知識の内容についてのその表明の解釈の双方を伴うもの(Cisbra & Gergely 2006: 5)という教育の定義では除外,軽視されるような,非明示的に知識や技術が再生産される仕組みに注目し,それを詳細に分析してきた.グイ/ガナの人々がこ うした教育・学習の方略によってそのコミュニティに社会化していく一方で,グイ/ガナのコミュニティもそれによって構成,維持されてきた.コンテクストを 前提とし,コンテクストを構成する行為者の主体性は,本来的に社会的なものである.グイ/ガナのコミュニティの将来は,新たな地理的セッティングでこうし た社会性な主体性がどのように実現されるかにかかっている.

高田 明 (2013). ゴフマンのクラフトワーク: その言語人類学における遺産. 中河伸俊・平英美・渡辺克典(編), アーヴィング・ゴフマンの相互行為秩序研究. 東京: 新曜社.

本論文では,社会的状況,関わり,参与枠組みをキーワードとして,Goffmanの仕事の特徴,およびそれが言語人類学に与えた影響を整理した。こうした Goffmanの仕事を重要な源泉の1つとして,言語人類学はさらにその研究の領域を広げ,関心を深めながら発展してきている。人類学者は,「未知」の社 会の常識(の構造とその成り立ち)を理解しようとすることによって自らの社会を相対化し,両者に通底する仕組みを論じる。当該社会のメンバーにとってはあ たりまえで些細な日常的な行為が,人類学者にとっては上記の課題に取り組んでいくための重要な素材となる。この作業にあらかじめ決められた作法はない。 Goffmanのクラフトワーク,すなわち彼が洗練された目で良質の素材を選び,シンプルな道具を巧みに使い,あざやかな手さばきでそれを優れた作品へと 仕立て上げていく行程は,この課題に対するもっとも優れた回答の1つを提供している。またGoffmanは,他の社会学の理論家とは異なり,考察の素材と なった具体的な出来事への関心を維持し続けた。こうしたGoffmanの仕事は,同様の課題に取り組んでいる人類学者を惹きつけて止まない。

高田 明 (2013). ポスト狩猟採集社会と子どもの社会化. 佐藤廉也・池口明子(編), 自然と生きる, 第3巻, 身体. 滋賀: 海青社.

この論文の目的は、ポスト狩猟採集社会における環境の変化に伴って子どもの社会化における特徴がどう再編されるのか、私が調査地としてきたナミビア北中部 に住むクン・サンの事例に基づいて論じることである。定住化・集住化は、クンを社会化する自然環境・社会環境に離乳食の利用可能性の増加、移動性の減少、 生産・消費の単位の縮小、近接して居住する子ども数の増加などの変化をもたらした。こうした変化に直面し、クンは日常的なコミュニケーションのスタイルを 再編していったと考えられる。まとめでは,クンとジュホアンにおける養育行動の構造的な類似点と相違点について考察することを通じて,エコロジーや生業活 動は行動パターンや親の信念体系を組織化するための資源を提供するというモデルを提示する。

高田 明 (2012). 親密な関係の形成と環境. 西真如・木村周平・速水洋子(編), G-COE最終成果 第3巻, 人間圏の再構築. 京都: 京都大学学術出版会.

精神分析学およびその影響を受けた研究は,人間圏の論理の核に親密圏を想定し,さらに親密圏を形成する初期の人間関係に注目して,生涯を通じた自我の発達 という視座から人間存在を論じてきた。またジュホアンの社会化に関する研究は,その特徴が「ヒト本来の子育て」についての議論と結びつけられることによっ て,上記の研究史において重要な位置を占めてきた。しかし,近年のさらなる研究の進展は,こうした主張には検討の余地あることを示す。そこで本研究では, ジュホアンと社会的,言語的に近縁だが,バントゥー系農牧民との社会的交渉や定住化・集住化がより進んでいるクンに注目し,クンの子どもをめぐる人間関係 の中で親密圏が形成されていく過程をジュホアンのそれと比較しながら分析した。その結果,クンでもジュホアンとの類似点(例:身体的なケアでは母親が第一 義的な役割を担う)が確認される一方で,両者の間には重要な違い(例:クンでは離乳前から子どもにしばしば離乳食が与えられる。母親以外で養育行動に従事 する人々の内訳はジュホアンとクンの間で大きく異なる。)も確認された。またクンでは,乳幼児のケアに責任を持つ養育者は養育行動の領域ごとに異なってい た。こうした違いは,クンとジュホアンがその環境で利用する資源の違いによって説明できる。また自我の発達における文化的多様性や個人差を説明するために は,子どもの行為とそれを導く周囲からの配慮を切り離さずに分析し,さらにその関係が社会の中ではたす働きについて考察していく必要があること,とくに子 ども集団活動は親密圏の形成と人間圏の変容・再統合のいずれをも担うことが示唆された。

高田 明 (2013). 文化人類学の考え方. 田島信元・南徹弘(編), 発達科学ハンドブック, 第1巻, 発達心理学と隣接領域の理論・方法論. 東京: 新曜社.

もうかなりの間,人間の社会性に関心を持つ心理学者が文化の大切さを称揚する一方で,多くの人類学者は自分たちが世の中に広めた文化という概念にアンビバ レントな態度を示してきた.両者の溝は思いのほか深い.しかし,この溝の底には豊かな水流がある.この章では,文化人類学の考え方を紹介することを通じて 両者がどう協働できるか考えたい.

Takada, A. (in press). A personal environment: The application of folk knowledge amongst the San of the central Kalahari Desert. In Handbook of indigenous knowledge and changing environments. Local and Indigenous Knowledge Systems (LINKS) Programme, UNESCO.

Amongst the various groups of San that live in southern Africa, this study focuses on two neighbouring language groups, the |Gui and ||Gana. In a region of scant rainfall that varies greatly by location and year, the |Gui/||Gana developed a vast folk knowledge that allowed them to acquire ample bush foods by moving frequently and flexibly within their immense living area, now encompassed by the Central Kalahari Game Reserve (hereafter, CKGR). However, since the implementation of Botswana’s development programme in the 1970s, which encouraged permanent settlement in villages, the lifestyle of the |Gui/||Gana has been altered. By 1997, most CKGR residents had moved to a new settlement that was founded outside the reserve. I examined how the |Gui/||Gana have applied their folk knowledge in this new geographical setting. Given the lack of knowledge of landmarks, the scarcity of traditional foods and the promotion of other subsistence activities, their foraging activities appeared to decline. However, several |Gui/||Gana people have remained eager to form foraging excursions. These hunters began accumulating knowledge of trees as landmarks, as they did in their previous living area. They also use the trail of Tswana merchants as a frame of reference to grasp their relative location. The use of the trail is analogous to the |Gui/||Gana’s use of |qaa (a dry valley), which was an important landform for dead-reckoning navigation in their previous living area. The analysis of conversations recorded during foraging excursions indicates that the |Gui/||Gana activate their keen sense of the environment through their distinctive use of utterances and gestures. This sense is necessary to use both |qaa and the Tswana trail as frames of reference in the relatively flat terrain of the Kalahari. Moreover, this sense has motivated the |Gui/||Gana to transform a novel geographical setting into their personal environment.

Takada, A. (2011). Pre-verbal infant-caregiver interaction. In A. Duranti, E. Ochs, & B. B. Schieffelin (Eds.), The handbook of language socialization. Oxford: Blackwell (pp.56-80).

Research on the development of social interactions has shown how caregivers and infants, from the moment of birth, reciprocally accommodate patterns of behaviors. The infant develops various innate competencies through approaches from a caregiver, creates interaction patterns, and begins to appropriate culture through imitation (Kaye, 1982; Tomasello, 1999). The relation between the particularity and universality that characterizes caregiver-infant interaction systems, however, has yet to be analyzed. In this vein, studies of language socialization have developed theoretical tools to illuminate how each community’s habitus of communicative codes, practices, and strategies is related to its socio-cultural logic (Ochs, 1988; Duranti, 1997; Ochs, Solomon & Sterponi, 2005). This chapter establishes a theoretical perspective on language socialization before speech and clarifies the ethnographic distinctiveness of caregiver-infant interactions among the |Gui/||Gana, two neighboring groups of the San. A |Gui/||Gana mother usually nurses her infant for a few minutes at a time, with short intervals between nursing. Young infants react to the proximal context using a narrow variety of actions, whereas the mother was involved in a much wider participation framework, reacting to the infant only after a fretful movement. This is one reason for the distinctive nursing pattern. Moreover, infant sucking was negatively correlated with “gymnastic” behavior (standing or jumping on a caregiver’s lap). Caregivers frequently induced infant stepping movements, created rhythms in caregiver-child interactions, and thereby made interactions pleasurable. As such, corporeality is omnipresent in caregiver-infant interactions. The |Gui/||Gana have several language genres, which introduce communicative musicality in caregiver-infant interactions. Rhe |kii of tsando, a song-for-infants, makes use of melody to accommodate infant actions and often involves infants in multi-party interactions. Analysis demonstrates that “what might appear to be the transparent physicality of the body” may evolve through the history of practitioners’ involvement with “a complex, nuanced interplay of social and cultural forces (Hanks, 1996: 248)”. Facilitated by these forces, even a young infant produces responses according to the expectancy of the caregiver. These early forms of “responsibility” pave the way for the infant to take part in more complicated interactions in later life, such as performances of imitation. Previous studies on imitation have asserted that a prerequisite for the transmission of culture is that all members of the social system share common aims. Alternatively, without assuming culture as constructed in the child’s inner world, language socialization research illuminates how caregivers and children collaboratively realize cultural meanings via children’s involvement in the participation frameworks of a given speech community long before becoming able to perform imitation

Takada, A. (2011). Language contact and social change in North-Central Namibia: Socialization via singing and dancing activities among the !Xun San. In C. König & O. Hieda (Eds.), Tokyo university of foreign studies: Studies in linguistics Vol.2, Geographical typology and linguistic area: With special reference to Africa. Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins (pp251-267).

Weaning of !Xun children today occurs during the second year after birth. After weaning, children of different ages play in groups, a practice that plays a considerable role in childcare. !Xun child groups usually operate outside of adult supervision. Singing and dancing constitutes a major activity in girls’ groups, with most of the songs having originated among agro-pastoralists. !Xun children incorporate these original aspects into their own play activities. In this article, I analyzed how young children start engaging in such “multiparty embodied participation frameworks” of singing and dancing activity. The examples show various participation frameworks in which a 2-year-old child was involved in singing and dancing activities. The participation frameworks are different with regard to (1) the configuration of the direction and extent of participants’ attention, (2) the complexity of the activity and the skills required to engage in it, and (3) the semiotic resources used to establish the multiple boundaries of the activity. The examples also have some implications for studies of socialization. The active imitation observed in the activity is crucial for organizing subsequent action.

高田 明 (2010). 相互行為を支えるプラグマティックな制約:セントラル・カラハリ・サンにおける模倣活動の連鎖組織. 木村大治・中村美知夫・高梨克也(編), インタラクションの境界と接続: サル・人・会話研究から. 京都: 昭和堂, pp.358-377.

この小論では,他者と同じように行為することが自然な相互行為の過程においてなにを意味するのかを検討した.子どもたちの記憶は,はじめは行為の連鎖に埋 め込まれている.その後,行為が記憶によって生じさせられるメカニズムがこれに重ね合わされる.こうした発達的な経過を通じて,子どもの認識論的な景観 (epistemological landscape)はより構造化されたものとなる.同時に,子どもたちは次第に,相互行為の流れの中で取り得る選択肢を考慮するときに起動させる予期の 範囲を拡げていく.これを反映して,相互行為の流れが乱された場合に子どもたちがみせるリアクションは,単なる感覚運動シェマの繰り返しから,他者による 次の行為を見ながら待つ,さらには文化的に共有されたスクリプトを参照するというものに変化する.これらの変化は,子どもたちが次第に複雑になっていく相 互行為の連鎖組織において,適切なタイミングで適切な行為を行うことを可能にする.また,言語的社会化の過程においては,文化が欠くことのできない役割を 担っている.子どもが生まれてすぐから,相互行為はつねに歴史的に構築されてきた特定の文化的なセッティングの中で生じる.しかし,さまざまな文化を通じ て,子どもは対面の相互行為に参加して行為を行う.この場合,子どもはたいてい共通のプラグマティックな制約に直面する.これらのプラグマティックな制約 は,それぞれの参与者が文化を内在化していない場合でさえ,子どもに相互理解の基盤を提供する.そして子どもは,この相互理解を目指して,相互行為の中で 交渉される意味のふるまいを柔軟に解釈する.こうした営みを通じて,子どもは世代を超えて文化的に特異な活動を継承し,それを再創造することができるので ある.

Takada, A. (2008). Kinship and naming among the Ekoka !Xun. In S. Ermisch (Ed.), Research in Khoisan studies, No.22, Khoisan languages and linguistics: Proceedings of the 2nd International Symposium, January 8-12, 2006, Riezlern/Kleinwalsertal. . Cologne, Germany: Rudiger Koppe Verlag Koln (pp.303-322).

Researchers have recognized the kinship and naming system as the center of !Kung socio-cultural organization. Lee (1986) noted that “kinship is the central organizing principle of societies like the !Kung” (p. 79). Anthropologists recognize the !Kung kinship system as a typical example of universal kin classification (UKC), a form of social classification that encompasses an entire society and is based on notions of kinship and affinity (Barnard, 1992: 265-266). However, the Ju|’hoan kinship and naming system is not necessarily applicable to other groups of !Kung. Barnard (1992: 40) pointed out that virtually all modern research among the !Kung has been carried out in only two adjacent and similar areas in central-eastern Namibia and southwestern Botswana. Subsequently, except for several linguistic works (e.g., Heikkinen, 1987; Konig and Heine, 2001), contemporary studies have paid little attention to the !Xun, a group of the !Kung living in north-central Namibia. This article examines the kinship and naming system of the !Xun and clarifies the underlying principles by which their kinship and naming terms are systematically derived. I conducted field research in the settled !Xun village of Ekoka, located in north-central Namibia. For the !Xun of Ekoka, the kinship and naming system is an organizing principle for their cultural practices. However, this system has been formed in a different way from that of the more well-known Ju|’hoan of Nyae Nyae and Dobe. Moreover, the kinship and naming system represents the history of inter-ethnic relationships in north-central Namibia.

Takada, A. (2008). Les pratiques de navigation dans le desert du Karahari (Botswana) chez les San: Exemple d’observation participante. In H. Norimatsu & N. Pigem (Eds.), Collection Cursus, psychologie: Les techniques d’observation en sciences humaines. Paris: Armand Colin, (pp.132-141).

(1) When the |Gui / ||Gana move through the bushveld, they quickly find places with fewer obstacles. The following fragments of a conversation that occurred in a car show how information on the environment becomes public to the participants.
G: aa xoa ka koo (1) aa qhoro za
Go in that direction. Toward that clearing.
(1) G held out his right hand and pointed to the right of the front window. Slightly later, T held out his right hand and pointed to the right of the prior direction.

With a pointing gesture, G used the distal demonstrative “aa” in an explanatory way; the descriptive word “qhoro (lit. clear)” followed the phrase. The word “qhoro” overtly signaled a place with low grass cover. Note that the gesture and utterance appeared in space that was filled with resources for communication. One of these resources was the configuration of the people in the car. G was sitting on the back seat, and thus out of the view of N, who was the driver and a Japanese national. Compared to the other informants, G used descriptive and complex phrases. These phrases suggest that the addressee was not N but another informant T, who was sitting next to N and was supposed to indicate the way to her. Overlapping with G’s utterance, T accordingly held out his right hand and pointed to the direction that G had displayed. Before this, N had indicated the difficulty in finding the way by laughing. Given the utterance and gesture by G and T, however, N turned the car in the indicated direction. The laughter ceased. Afterward, N’s driving became coordinated with the gestures of T. In brief, G, T, and N coordinated their actions and thereby exhibited their mutual understanding about which direction to take. The papers also demonstrate (not shown here) (2) how the |Gui / ||Gana use specific trees as landmarks in the bushveld and (3) how they understand woodlands and basins that were previously used as campsites in their nomadic lifestyle.

高田 明 (2008). ナミビア北部におけるサンと権力との関係史. 池谷和信・武内進一・佐藤廉也(編), 朝倉世界地理講座: 大地と人間の物語, 第12巻, アフリカⅡ, 東京: 朝倉書店, pp.601-614.

この小論では、私が進めるサン(San)の文化人類学的調査の一環として、ナミビア北部に台頭してきた人々や組織とサンとの関係史を示す。ナミビア北部で 歴史的に台頭してきた人々や組織(e.g., オバンボ,植民地政府,宣教団,ナミビア共和国,NGOや国際機関)はそれぞれ、ナミビア北部の地域社会を特色づける慣習やシステム、すなわち社会的制度 を持ち込んだ。新しい社会的制度の中で、サンはしばしばその位置づけを再定義されてきた。こうして権力がサンに与えてきた位置づけ、さらにはサンのためを うたって実施してきた政策は、実際にはサン以外の様々な人々や組織の利害関係を背景としたものである。しかし、こうしたイメージの変転(ただし、その位置 づけが社会の周縁部にあったことは歴史を通じて共通している)や政治経済的な利害関係の移り変わり、さらには通婚等を通じた頻繁な混血を経験したにもかか わらず、サンをエスニック・グループとして他のアクターから隔てる文化的な境界は、歴史を通じて連綿とリアリティを持ってきた。

高田 明 (2006). グイ/ガナの養育者-乳児間相互行為:「サオ・カム」実践に関する覚え書き. 菅野盾樹(編), 身体と動きの人間学,大阪: 大阪大学大学院人間科学研究科基礎人間科学講座基礎人間学・現代記号学研究分野, pp.95-104.

これまで私は,サンにおける授乳やジムナスティック(養育者が乳児を膝の上で抱え上げ,立位を保持,あるいは上下運動させる一連の行動)といった養育行動 は,生後2~4ヶ月という幼い乳児に行われる場合でさえ,日常的な相互行為の文脈と切り離して考えることはできないこと(高田2004; Takada 2005a)を示してきた.こうした研究は,究極的にはサンの社会的相互行為を組織化していく文化的構造を明らかにすることを目的としている.いいかえれ ば,乳児と養育者が共同で生み出している「うごき」の分析を通じて,サンの「文化」について考えて行こうというのである.こうした研究の一環として私は最 近,グイ/ガナの養育者が乳児に行う「サオ・カム」に注目している.サオ・カムは字義通りには「あやす方法」という意味で,乳児をあやすために行う言語的 働きかけのことを指す.サオ・カムでは,養育者(たいていは乳児の近しい女性親族)がしばしば乳児をあやすために簡略化されたニックネームを用いる.サ オ・カムの実践において養育者は乳児をどのように相互行為に参画させるのか?これについて,本稿ではビデオ映像から作成した書き起こしに基づいて予備的な 考察を行った.

Takada, A. (2005). Mother-infant interactions among the !Xun: Analysis of gymnastic and breastfeeding behaviors. In B. S. Hewlett & M. E. Lamb (Eds.), Hunter-gatherer childhoods: Evolutionary, developmental, and cultural perspectives (pp.289-308). New Brunswick, NJ: Transaction Publishers.

The relationships between “gymnastic” behavior (keeping infants standing or jumping on one’s lap) and breast-feeding, and the foraging lifestyle of the San (the indigenous people of Southern Africa) were the focus of this study. In order to better understand these two behaviors, and the relationship between them, field research was conducted among the !Xun (or !Xu~) San, who have close associations with agro-pastoral peoples. Analyses showed that !Xun caretakers frequently engaged fretful infants in gymnastic behavior. It has been reported previously that the San believe that gymnastic behavior promotes infant motor development; it emerged in this study, however, that the !Xun feel that this behavior soothes infants. In addition, it was found that mothers nursed their babies briefly and frequently, at short intervals. This pattern of breast feeding had the following characteristics: mothers would nurse infants at any time and in any location; mothers nursed infants to soothe them; during suckling, mothers gazed at their infants less than they would usually do; gymnastic behavior sometimes interrupted breast-feeding; and mothers seldom jiggled their infants during pauses in suckling. This investigation led to the following insights: (1) an observational study allows researchers to apprehend ways in which culturally distinct caregiving behaviors arise; (2) cultural diversity is apparent in caregiver-infant interactions from their incipiency; and (3) the assumption that the practice of caregiving behaviors is essentially determined by environment and subsistence pattern should be reconsidered.

Takada, A. (2005). The importance of gesture and grammar in displaying directional markers: Evidence from the San of the Central Kalahari. In K. Sugawara (Ed.), Construction and distribution of body resources: Correlations between ecological, symbolic and medical systems (pp.31-55). Tokyo: The head office of the project on “Distribution and sharing of resources in symbolic and ecological systems: Integrative model-building in anthropology”.

Navigation practices constitute a promising research domain for the development of action theory, which analyses language use in conjunction with the structure of the environment at the point of action (Goodwin, 2000). Takada (in preparation) has clarified the structural aspects of the immense environmental knowledge of the |Gui and ||Gana, two closely related sub-groups of the San. Their sensitivity towards the environment (Sugawara, 1998), and their distinctive group dynamics, create the context in which this knowledge is activated. Based on these findings, this paper demonstrates how an experienced navigator displays directional markers by deploying various semiotic resources. Analysis is focused on the following aspects of action. First, various kinds of gesture (e.g., body posture, gaze direction, and pointing) are effectively used to display the orientation of the navigator’s attention. As people, generally, carry themselves in culturally shared ways, audiences are sensitive to such forms of orientation, and attune themselves continually to each other’s attentional direction. Through mutual attunement of their attention, the navigator and audience collaboratively interpret events. Secondly, San languages, particularly those of the |Gui and ||Gana, have a variety of pronouns and suffixes. These are used to frame the continuously changing membership categories that construct the contextual configurations of conversations when they practice navigation-related activities. In this context, individual behaviors emerge as socially oriented actions. The data examined here demonstrate that the distinctive communication style of the |Gui / ||Gana is advantageous with regard to coordinating the actions of group members. Their remarkable navigation practices are inseparable from their communication style. Furthermore, this study helps to enhance our understanding of the components of the |Gui / ||Gana lifeworld.

高田 明 (2004). 移動生活と子育て:グイとガナにおけるジムナスティック場面の特徴. 田中二郎・佐藤俊・菅原和孝・太田至(編), 遊動民:アフリカの原野に生きる. 京都: 昭和堂, pp.228-248.

サンにおけるジムナスティック(乳児を膝の上で抱え上げ,立位を保持,あるいは上下運動させる一連の行動)は,狩猟採集に基づく移動生活と関連づけて説明 されてきた.高田(2002a)では,サンの養育行動の多様性,日常的文脈を検討するため,サンの中でも定住化や農耕牧畜民との交渉が進んでいるクンで調 査を行った.その結果,先行研究から示唆される予想に反して,クンでも乳児に早くから頻繁にジムナスティックを行うことがわかった.これはジムナスティッ クがしばしば「あやし」として行われることによる.本稿は,上の高田(2002a)をふまえて,グイやガナにおけるジムナスティック場面の特徴を記述・分 析したものである.グイやガナでも,乳児に早くから頻繁にジムナスティックを行う.行動のシーケンスを分析したところ,ジムナスティックにはやはり乳児を あやす効果があることが示された.ただしグイやガナは,ジムナスティックが乳児の歩く力を育てるとも考えている.さらに,グイやガナは,乳児に人々は座る ことや立つこと,歩くことを積極的に教える.そうした「訓練」と関連して,治療目的の行為も多く確認される.グイやガナにおけるジムナスティックをクンで のそれと比較すると,養育者との接触度,ジムナスティックの頻度,ジムナスティック直前の状況についてはクンとよく似ている.これに対して,ジムナス ティック中の乳児や養育者の行動に関しては,グイやガナとクンとの間でそれぞれの民俗理論を反映した違いがみられる.以上から,文化的に共有された民俗理 論がどのように組織化されているのかを明らかにすることが,ジムナスティックの行為実践を論じるうえで重要であると考えられる.この作業は,ジムナス ティックをめぐる文化的構造について,もう一歩踏み込んで論じることにもつながるはずである.

高田 明 (2003). 子どもの発達と文化:心理学と人類学. 片岡基明・吉田直子(編), 子どもの発達心理学を学ぶ人のために, 京都: 世界思想社, pp.208-231.

文化的状況が異なればそこに暮らす人々の発達過程も違うのだろうか?これは子どもの発達と文化との関係に関心を持つ心理学者,子どもの社会化について研究 する人類学者にとってもっとも基本的な問いだろう.本稿では,こうした問いを共有する心理学と人類学の関わりを紹介することで,子どもの発達と文化との関 係を考えた.