代表者 高田明さんへのインタビュー
1. 本プロジェクト『アフリカ狩猟採集民・農牧民のコンタクトゾーンにおける子育ての生態学的未来構築』について
高田:基盤Sについて話しましょうかね.
野口:はい,お願いします.
高田:僕自身は,早くから子育ての研究をしてきました.「養育者—こども間相互行為」として,理論的には相互行為の分析によって,生まれてから5歳くらいまでの子どもと周りの人のかかわりを研究しています.その後,景観研究を始めました.きっかけは調査地のサンの人びとと一緒に生活していた時に,彼らのWay Finding(道探索)がすごいなって思ったこと,そして,子どものインタラクションの観点からも,発達の進行とその文化独自の方向性の関係に関心があり,環境に対するかかわり方とか知識がカギになりそうだなって思ったことです.この2つのテーマに基づく研究を,どっちもやりつつそれが交差するようなかたちで立ち上がってきたテーマっていうのが,本研究課題でもある,生態学的な未来構築です.子どものハビトゥス,すなわち子どもの身体的知識みたいなものと,マイクロハビタットっていう環境側の特徴がどのように相互構築されていくか,という関心がこのテーマにつながっています.もう一つのテーマである,農牧民と狩猟採集民のコンタクトゾーンですが,ボツワナでいえば,サン(San)の人びととカラハリ(Khalahari)やツワナ(Tswana),ナミビアではサンの人たちと農牧民オバンボ(Obambo).ナミビアの場合,サンの人たちは,このオバンボに囲まれて暮らしています.彼らの間では歴史的に通婚が繰り返されてきたこともあって,ライフヒストリーを聞いていると,狩猟採集民―農牧民の文化的境界を越えているような個人もわりあいたくさんいます.その関係を論じるにあたって,あるグループに対する外部からの影響といった視座ではなくて,お互いに関わりながらそれぞれが自律したグループをつくっていく仕組みがどうなってるのかを考えたい.これも初期から気になっていたテーマです.ですから,子育ての研究と,景観の研究と,エスニシティの研究が交差したようなところに出来上がったテーマが「アフリカ狩猟採集民・農牧民のコンタクトゾーンにおける子育ての生態学的未来構築」です.関心のもとは僕自身の関心が反映されているとは思いますが,大きいテーマなので,自分一人で全部できるようなものではありません.分野の専門家,地域の専門家,いろんな人に協力してもらって進めていきたいです.学生さんも含めて.
2. 高田さんの研究について
野口:なるほど,カメルーンは高田さんにとっては新しいフィールドだと思いますが,狩猟採集民と農牧民のコンタクトゾーンという観点からは,どういうふうに位置づけられるのでしょうか.
高田:そうですね,カメルーンはひとつ前の景観のプロジェクトから入っています.サンとピグミー(Pygmy)の人たちは昔からよく狩猟採集民研究で取り上げられていて,比較研究もあるので,いろんなことがいわれてきました.その中でも僕の関心に照らして重要なこととして,まず半乾燥地と熱帯域っていう環境の違いを反映して,授乳のパターンが全く異なるということがあげられます.また,熱帯林でみられる共同育児と,サン社会でいわれてきた母子間の密着もかなり異なる特徴です.どちらも狩猟採集民の特徴として隣接分野や一般社会から注目されてきましたが,それぞれの比較から違いが生じてくる仕組みを明らかにすることはすごく意味のあることかなぁっと思って,カメルーンも重要な調査地に位置づけています.
野口:主には,そのカメルーンの森の中で調査をするのですか?
高田:そうですね.カメルーンのフィールドはエコロジカルには熱帯林ですけど,伐採道路のそばに村が出来上がっているところが多くあります.わりあい開けた村から森に入っていって,場合によっては何週間も数か月にわたるような生活をするようなこともあります.移動をしながらの生活が現代でも見られるので,それを追いかけながらの調査にも関心があります.
野口:今年の2月に渡航されたと思うんですけど,その時はどんな感じでしたか.
高田:その時は,日程がそんなにたくさんとれなかったので,実際にはバカの村までは行けていません(報告書).ただ,今後の調査のためのアレンジをするために,首都(ヤウンデ:Yaoundé)と,ベルトア(Bertoua)というバカの生活する東部州の州都を訪れました.カメルーンは南部アフリカ以上にNGOとの協力が調査を進めていく上で重要なキーになるところです.そういう団体と協力をして調査をすることがわりあい多いので,その調整のために,いろんな人たちと会ってきました.
野口:なるほど.手ごたえのほどは.
高田:手ごたえは,そうですね.結構できる,なんか面白くなりそうだなぁと思いました.どうしても自分だけで考えるとだんだんだんだん小さくまとまっていくことが多いのですが,いろんな人とかかわると予期しなかった要素が入ってきて,うまく展開すれば面白くなる,ということはありますね.
杉山:あ,すみません,ちょっと戻るんですけど,この,基盤Sのテーマの背景を教えていただきたいです.高田さんの中での,道探索の話と子育ての話って,私の中では違う研究っていう感じで見てきたんですけど,高田さんの中ではその2つはすごくつながってたんやなっていうのが,なるほどって思いました.
高田:で,エスニシティの研究もね.なんか3つのテーマみたいな感じで言ってはきてたけど,実は根っこのところから遡るとつながってるんですよね.
杉山:環境によって人がつくられ,人によって環境がつくられ,みたいなものがこれまでボツワナとナミビアでいろんな経験をされてきたからこそ,気づけたことだと思います.その感じをカメルーンでもなんか同じことありそうだな,とそういった意味での手ごたえみたいなものは実際行ってみてどうでしたか.
高田:うーん.カメルーンはやっぱ大きく違いますね.ボツワナ,ナミビアはおんなじサンでもあるし,ナミビアの方がもう少し,緯度が高くって農業が盛んな地域っていう違いはありますけど,エコロジカルな環境も似てるので,基本的には共通点がよく目につきます.例えば,僕が注目しているジムナスティックや子どもへの言語的なはたらきかけは,クン(!Xun)とグイ(Glui),ガナ(Gǁana)で言語は違っても結構似た側面が確認できます.そういう意味では,サンっていう一つの大きなまとまりと,農牧民もバンツー系(Bantu)っていう意味では繋がってる面もなくはないので,ボツワナとナミビアは類似するところが多いですかね.もちろん,そっから見始めて国の成り立ちが違うとか,王国があったかどうかとか,そこの違い,ボツワナとナミビアの違いっていうのが面白くはなってはくるんですけどね.ただ,カメルーンと南部アフリカを比較すると,さっき言った共同養育みたいなのはやっぱり熱帯域の特徴で,乾燥地では母親がエクスクルーシブに授乳するなど,大きな違いがあります.もう一つは,ディシプリンにとっての重要性に対する手ごたえもあります.子どもの研究はインタラクションの研究から始まってますが,基本的には人と人のかかわりを見てきた歴史が長いんですよね.そうすると,人の外にある,よく「リソース」っていわれるような,何を使ってインタラクションをやっているのかとか,場面そのもののセッティング,みたいなものが,どうしても背景になってしまって議論に統合されてないことが理論的に大きな問題といわれています.だからもっと理論の核心にも環境と人の相互作用っていうものをもってくるっていうのが今求められてると思います.そういう意味でも,このテーマは大事かなぁと思ってますね.
3. 様々な調査地やテーマをフィールドとするプロジェクトのメンバーについて
杉山:私もニューカデとオカバンゴの二か所で調査をして,比較するのって難しいよねってっていう話を高田さんとしたことがあると思います.私自身も違うところで調査地をもつ難しさっていうのを感じてきたんですけど,カメルーンっていう新しい調査地をもつことによって,比較ではなくってカメルーンが入ることによる,理論的な面での再構築を目標にされてるんでしょうか.
高田:比較が難しいのは確かです.比較にはいくつもの種類があると思うんですよね.全面的にA,B,Cの構造を比較するっていうのは,これまぁ絵にかいた餅になりやすくって,全体を見渡せるようになってからじゃないとできないので,そう簡単ではありません.でも,ボツワナとナミビアだったらベースになってるところの共通性がわりとあります.サンのいくつかのグループのように,要素だけが似てるんじゃなくて,Genealogical(系譜的)にも共通のプロトタイプみたいなものを想定しうるような関係にあるようなものだと意味ある比較がしやすいと思うんですよね.一方,サンとバカみたいに大きく違うグループだと,言語学でいうところのタイポロジー(類型論)的な比較,例えば系譜的には関係がなさそうだけどSVO構造をもっているような言語間でその構造が他の言語の要素とどのように関わっているか比較するような研究を行うこともあります.またある程度自立した活動,たとえば授乳時に限って,誰がどうかかわっているかっていうのを3つのグループで比較してみるみたいな場合だと意味のある比較ができると思います.ですからそのテーマに応じて,どこをどう比較するかっていうのを考えてるっていうのが現状ですね.あとこれも僕一人ではとてもカバーできないので,関連する研究をやってる人と一緒にやることで,自分が及ばないところを補ってるっていう感じかな.
杉山:ちょっと質問飛んじゃうかもしれないんですけど,高田さんの研究の中でのカメルーンが入ってきての意味っていうのはよくわかったんですけど,他の研究員に対する,「こういう風に発展していけばいいな」とか,そういったものはないですかね.例えば私は死に対してのことをボツワナだけではなくて,カメルーンで見ることによって,なんかどういう可能性があるんだろうかって,この基盤Sを機に考えたりするんですけど,どういうことを他の研究者に求めてるとか,あれば.
高田:学生さんも研究員も分担者も,コラボレーションをしている研究者仲間ではあるんですけど,全面的にこのプロジェクトに属してるわけではないと思っています.だから,各人にそれぞれの関心があって,プロジェクトとしての関心があって,それがオーバーラップする部分,響き合うところで共同研究の活動が進めばいいなと思っています.ちょっと抽象的ですけど,みんなの力を全部一つの方向に向けて統合しよう,みたいなイメージは僕はもっていません.むしろ,みんなの持ってるベクトルを足したときに一応前に向かえばいいな(笑)という感じですね,ちょっとぐらいずれていても同じ向きの矢印を足したら前には進むでしょう? 2つの矢印が反対を向いていると力が打ち消しあっちゃうんだけど,それでも後ろ向きに進むのでなければいいかなと思っています.論文それぞれによってベクトルがあるから,結局どういう最終的な生産物になるかっていうのは,僕も完成形がはっきりわかっているわけではありません.僕はよくプロジェクトとプログラムを言い分けているんですけど,予定調和的にプログラムされているんじゃなくて,あくまでも未来に向けたプロジェクトなんで,予想できない部分も結構あって,だから面白い.その結果として生まれてきたベクトルでユニークなフィールドが拓けたらいいなぁって思ってます.
杉山:あ,予想通りの答えでした.
高田:ありがとうございます.
杉山:ようは好きなようにやってもらって.
高田:まぁ好きなようにやるけど,後ろに向かんようにみんなで協力しようね,っていうことです.
杉山:はい.私もこれまで通り好きなようにさせてもらって,その好きなようにさせてもらったことと,あるいは高田さんの研究と,あるいは他の人の研究とどういうふうに響き合ってステップアップしていくかっていうのが,楽しみです.
高田:そうですね.杉山さんが研究している死というテーマはやっぱり大きなものだから,その世界観,社会全体に関わってくると思います.とはいえ,死とは異なるところから社会を見るっていうことも他の研究者はやってると思います.他の研究者と議論することで自分の考えの幅が広がったり,新しいことに気づけたりっていうことがきっとあるでしょうから,ぜひそうしてくれればいいな,と思います.
4. コロナ明けの久しぶりの渡航(2022年9~12月)について
野口:さっき,カメルーンに渡航してどうでしたか,という話を聞いたと思うんですけど,去年はそのコロナ明けで久しぶりにナミビアやボツワナにも行かれましたね.そこの辺りはどうでしたか?
高田:え.(野口さんも一緒に行ったのに)それ…聞く?(笑)どうでしたか?
杉山・野口:(笑)
杉山:(野口さんは)はじめてやん(笑)
野口:初渡航だったので(笑).それこそ,(何度もナミビアやボツワナに渡航している高田さんにとって)これまでとの比較というか,フィールドの変化とかもしあれば.
高田:思ってた以上に帰ってきた感の方が強かったですね.コロナは日本でも随分と大きいインパクトを与えた出来事だったんで,ちょっと心配していました.2年半もアフリカに行かなかったことって,研究始めてから僕も初めてだったんです.だから,最初はすごく緊張してたんですけど,調査地に着いてみんながワーって迎えてくれて.で,「誰やこれー」
杉山:(野口さんを指さして)「これ」
野口:(笑)(笑)
高田:って野口さんのことをいっている間に,“あー戻ってきたなー”っていう感覚になりました.「ギュークア(ɟúù ǀúã:ニューカデでの杉山さんの愛称)は来うへんのかー」って言ってましたよ.(笑)
野口:(笑)(笑)
杉山:私はその直前にニューカデに行って帰ってきたばっかりで,お互いに入れ違いみたいな感じでしたよね.
高田:そうそう.
杉山:私もコロナ明けに久しぶりに行って,がらっと変わってんのかなって思ったけど,意外と淡々と生きているなぁっていう印象でしたね.
高田:徐々にね,コロナの時に何があった?みたいなことを聞いていったら,また面白いエピソードが出てくると思うけどね.基本的には,社会のレジリエンスとかっていうけど,それってこういうことか,みたいな感じはありましたよね.逆に日本の方がなんか,インパクト大きかったかもしれないですよね.特に大学とかだったら授業の仕組みとか外に出るかどうかとか,京都の街に観光客がいるのかいないのかとかで,がらっと光景が変わったから.あとナミビアの方は,僕自身,結構久しぶりに行ったのね.あと,僕がいつも行っているオバンボランド(Ovamboland)よりも,学生さんの調査地となるカオコランド(Kaokoland)の方に長いこといました.だから,オバンボランドとかその中のエコカ(Ekoka)に行った日数っていうのはすごい少ないんだけど,それでも,すごく喜んで迎えてくれてうれしかったです.あと一番最初に行った時から一緒に仕事をしてきた調査助手の人が,噂ではもう亡くなったんじゃないかと言われてたんですが,行ったら無事だったからなんか感動の再会でした.よかったーって.(笑)
野口:高田さんの助手あるある.
一同:(笑)
野口:カオコランドでは,何をされたんですか.
高田:カオコランドはこれまで僕自身も行ったことはあったけど,そんなに長いこと滞在したことはなかったんですね.今回は,これから調査をやろうっていう(院生の)山本さんと河尻さんと行って,一緒にフィールド探しをするみたいな感じでした.まずオポーっていう街中を見てまわりました.オポーは,ヒンバ(Himba)の伝統的な格好してる人と,普通のTシャツ・ジーパンの人,あとヘレロの民族衣装の人とかが一緒に集まってるところなので,そういうところで話を聞いたり.あと,村まで行って,ヒンバのモバイルスクールがあるところに行ったり,まだモバイルスクールが届いてないところに行ったりして,ヒンバの挨拶「アーィンデ」とか言ってました.(笑)
野口:それほんまなんですね.(笑)
高田:ほんとですよ(笑)あと,「チュー」とか(笑)
野口:「アイー」って言ったら「チュー」って返ってくるんですか?(笑)
高田:そう.「コレ」に対して「チュー」.もう一回,「コレ」と聞かれて,それに対して「アーィンデ」と返す.(笑)
杉山:かわいい(笑)
高田:すごい高いトーンで言わないとだめみたいで,それを練習したりしました.(笑)
野口:楽しそ(笑)
高田:オポーの街は,まさにコンタクトゾーンでした.観光で来ている白人もいるし,観光開発の仕事をしている人や組織もいるし.そういうところで,「伝統」っていうリソースを使って,新しいものが生み出されているようでした.日本の72時間っていうNHKの企画で,その企画自体はポシャったんですけど,オポーのスーパーマーケットで収録したらどうかみたいな話もあったんだよ.それを思い出しながら,この人絶対撮らなあかんなとか,そんなん考えながら.(笑)
5. 研究やフィールドにおけるエピソード
野口:さっきの子育ての研究のところにも少し近いかなとは思うんですけど,実際に高田さんもご家族があって,子育てをしながらフィールドに行かれていますよね.子育てをするようになって,フィールドの見方が変わったとか,どういった変化があるか,ということも聞きたいなと思います.
高田:もう,うちの子14歳になったから(笑),僕の研究対象の0歳から5歳からはだいぶ時間が開いていますが,うちの子らが小さいときは一緒にボツワナのそれこそニューカデ(New Xade)にも連れて行ったりしました.変化というと,まず違うのは向こうの人の受け入れ方が変わるっていうことですよね.僕一人でいるときと,奥さんと一緒に2人で行くときと,あと子どもも一緒に行くとき,それぞれやっぱり向こうの人の受け入れ方が違って,かかわり方とか話す内容とかも変わって,「あっ(そういうことか)」って気づく.学生さんがいたり,共同研究者がいたりしても違う視点に気づかされることはあるんですけど,自分自身の立場が変わることでも,こんなに見え方が変わるんやーって実感するのは面白い経験でしたね.うちの子どもも変わるしね.グイ,とかガナの子らに朝連れてかれて,そのまま夕方まで帰って来なくって(笑)
野口:へぇー(笑)ひがな遊ぶように.
高田:ひがな,縄跳びして遊んでたりとか.
野口:踊らないんですか.
高田:踊ってました.下手だったけど(笑)
杉山:盆踊り教えたりしてなかったですか?
高田:盆踊り,まだうちの子は3歳と1歳なりかけだったからね.アカシアとかŋǀùnī(刺のない高木)とかに登って,「見て見て~」とか言ってたけど,グイやガナのお兄ちゃんお姉ちゃんたちはもうビュンビュンビュンビュン登っていくんで,なんか“すごー”みたいな感じで見ていたのを覚えてます(笑)
野口:日本の子どもがフィールドに行ってどう変わっていくかっていうのも面白いなとか思って.
高田:面白いよ.やっぱりね,結構わがままとかをしていると,陰でこうグイやガナのの子に“ピシッ”と叩かれてたりとか.
野口:いー(笑)
高田:なんか,ワーってしてて,僕がこう見てないふりをしている瞬間に,グイやガナの子になんかバーンって当てられてたりとかしてて.おーよしよしみたいな感じで(笑)あーやってちゃんと鍛えられるんやなぁとか思って.大事やね.(笑)
杉山:また行きたいって言ってませんか? 高田:今は言ってないなぁ.もうちょっと前はね,また行きたいって言ってたけど.今はまた違う,なんか課題と言うか(笑)まさに中二病,中三病みたいな課題を抱えてるんで,こっちはこっちで忙しそうですね.(笑)下の子は小6やしね.
6. 高田さんの研究人生における本プロジェクトの位置付け
野口:基盤Sの意気込みを.
高田:意気込みかぁ.大きなプロジェクトだからすごいということはないと思うんですけど,プロジェクトが大きいということは関わる人の数と動くお金が大きいっていうことではあるので,そういう意味で現地の人や組織との関わりも含めてプロジェクトをやってる期間にいろんなことが起こると思うんですよね.そこで見えてくるものっていうのは,これまでよりももちろん横には幅広くなるだろうし,願わくば深くも広がってほしいですね.小さいプロジェクトよりも自分が予想していなかったことがいっぱい起こるから,それが楽しめるくらいの余裕を持てればいいなと思ってます,っていうのが意気込みです.
杉山:具体的な成果としては.
高田:成果としては3地域でアクションリサーチを試みるので,さっき言った比較っていうのが上位の目標だと思うんですけど,まずはそれぞれの3地域でまとまったモノグラフみたいなものが制作できればいいなぁと思います.もちろん個別の論文などはそれぞれの研究者が自分たちの関心とプロジェクトの関心を照らして書いていってくれるとは思うんですけど,それをまとめる役っていうのが僕には期待されてると思うので,それをまとめるモノグラフみたいなものものが3つはできたらいいなとは思ってます.
野口:今計画されているアクションリサーチの具体的な内容について教えてください.
高田:アクションリサーチでは相手があるので,他の研究以上に予想通りに進まないことは覚悟しています.今現在進んでいるのは,まずボツワナでは野口さんも知っているように,民話を新しい形でリバイタライズすることをねらった紙芝居のプロジェクトが一つ.それからナミビアでは,今度,一年生の渡邉さんが行ってさらに関わりが増えると思うんですけど,コミュニティミュージアムみたいなものをつくってアクティブに活動している知り合いがいて,その人がエコカとか,エコカに影響の大きかった宣教団の活動なんかを随分独自に調べてるので,そういう活動とプロジェクトが共鳴しあうようになったら面白そうだなぁって思っています.あと,カメルーンの場合は大型のSATREPSのプロジェクトも進んでるように,京大のチームが現地の社会とか,生態学的な資源の利用にも深く関わってきました.その流れの中でこれまで比較的調査されてなかった子育ての側面から,環境との関わりを見直せたら面白そうだなぁと思ってます.JICAも関わってるんで,実際にアクションリサーチとしてもカメルーンが一番,今進んでると思うんですけど,そこに絡んでいきたいですね.
杉山:環境とのかかわり合いを解明することによって,現地の人たちにとってはどういう還元のあり方があると考えますか.
高田:アクションリサーチを推進するので,今,例をあげた3つともそうなんですけど,研究をやっている瞬間にもいろんな活動・還元が進むような形が理想です.例えば紙芝居だったら実際に上映会をするとか,ミュージアムだったら展示をするとか,カメルーンだったら公開のシンポジウムをするとか,その過程で,例えば,どの程度お客さんを呼べるのか,それが仕事として成り立つのかなど検討していきたいですね.NGOなんかが絡んだりすると,それは彼らにとっては仕事でもあるので,それによって上手くいくこともあればいかないこともあると思うんですけど,さっきの発想と一緒で,最終的にベクトルが前に向けばいいな,みたいな感じで考えています.
杉山:長らく問題になってきた狩猟採集社会と政府の関係についてはどう思われますか?例えば,(杉山さんが自分の研究を通じて注目している)埋葬の裁判だったら,なかなかその形,サンの人々にとって(ツワナで重要視されているお墓のような)形あるものが大切っていう主張がしにくいなと感じています.サンでは見えないものほど自然との関わり合いによって成り立っていて,そうした見えないものこそが彼らにとって大切だと私は思っています.しかし,研究者がそれを主張すると,サンでは形あるものがない,あるいは重視されていないと政府にとられてしまって,彼らの不利益になりかねません.だから,政府との関係において,研究者の立ち位置や発言ってすごく難しいなって思います.このプロジェクトで環境との関わり合いを解明していくことで,何かしら政府と狩猟採集民の関係性の改善にも貢献できるかなとか思うんですが.
高田:そうですね.アクションリサーチにはもちろんリサーチの側面もあります.よくact of meaning(意味の振る舞い;言語学者Michael Hallidayや文化心理学者Jerome Brunerの研究によって有名になったフレーズ)とかいうけど,皆さんご存知の通り,僕はそうした社会的な意味のやりとりみたいなものがどうやって始まってどうやって展開してみたいなことをずっと研究してきました.僕の中ではその基本的な考え方がずーっと軸になっています.だから,アクションリサーチといっても,例えば収入をいくら増やそうみたいな目的を前面においてるわけではなくって,彼らにとっての社会的な意味がどういうふうに出来上がってきて,どういうふうな使い方ができて,それが実生活の中でどういう未来に向けて展開の仕方があり得るのか,みたいなところに一番の関心がありますね.そういう意味のやりとりを通じて,現地の人と一緒にコラボレーションができたらなぁって思っています.その中には政府も重要なアクターとして入ってくるでしょうね.プロジェクトの中でFuture makingというフレーズを使っていますが,未来っていうのはいろんな人たちと組織が協力して作っていくものだと思います.そこに私たちも一枚噛みつつ,さっき言った前向きなベクトルを持った未来が生まれてきたらいいなっていう感じですね.