インタビュアー:高田明、林耕次、杉山由里子
インタビュー実施日:2023年11月9日
1.生態学的知識の再編/ 伝統的知識の授業化と子どものEK習得
(1)伝統的知識の授業化と子どものEK習得
林:安岡さんの研究では、カメルーンのバカ・ピグミーを対象に、長期狩猟行(モロンゴ)やワイルド・ヤム・クエスチョン、最近では、森の資源を持続的に利用するなど、人間と森との関係について、広く扱っていらっしゃいます。高田さんの科研プロジェクトでは、子ども間の相互行為や養育について扱っておられますが、安岡さんのこれまでの研究と関連はありますか?
安岡:ぼくは、高田さんのように相互行為そのものを記録するというよりも、子どもたちがどのような知識や技術を身につけているか、それがどのような場面で発揮されているのか、といった民族誌的な記述をすることになると思います。
林:実際にデータとかではどうですか?
安岡:ぼく自身はタイムサンプリング法のような方法でデータをとったことはありませんね。生業活動についていって、いろいろ一緒にやってみて、収穫量を計量する、といったやり方が多いですね。
林:高田さんのプロジェクトの中で、「言語の身体化と言語環境の再編」という研究課題のひとつがあって、カメルーンでは、「自然資源マネジメント政策の導入に伴う「生態学的知識」の再編 (熱帯雨林分割) / 伝統的知識の授業化と子どものEK習得」という内容が挙げられています。
安岡:「授業化」というのは、学校を作る、とかそういうことですか?
高田:幼稚園とか小学校で、授業までいければいいけど、ちょっとした青空教室みたいなのでもいいし。安岡プロジェクトで、伝統知とか学校でもハイブリッドで扱っている…、それを子どもの文脈で生態学的な知識でどうなっていくのかなーってのを考えて行けたらなと、このプロジェクトにおいて。
林:(安岡さんが代表の)SATREPSでは、「「在来知」と「科学知」の協働」とありますが、高田さんのプロジェクトでは、生態学的知識と伝統的知識を子どもたちが受け入れているのか、と。
(2)現地の“教育”の今
安岡:「伝統的知識の授業化」がどのようなプロセスになるのかを想像したとき、バカのなかでも地域的によって学校教育の普及の程度がかなり違っていることを考えておく必要があると思います。我々がフィールドにしてきた地域では現在でも日常的に森のキャンプに行って生活することが多くあります。しかし、もっと町に近い地域だと、学校に通うのがふつうになっていることもあります。それで、このプロジェクトではどちらに焦点をあてるのがよいでしょうか。
高田:両方見たいね。むこう(カメルーン)に行って思ったのは、NGOとかミッショナリーの影響が地域的に大きくて、そのインパクトを受けている人たちと、そういうのを回避しながら生活している人たちがいるな、と思って。ここで言っている「教育」って、凄い広い意味やから、日常生活のなかで親から伝わるとか自分で自然のなかで身につけるとかも入っているんで、社会全体で大きな、いろんなファクターが関わってきて、かつ、グリベみたいに伐採道路があって、(国立)公園になっているところと、ガンガンまだ樹が切り出されているところに分かれているときに、一体、グループ内での多様性がどういう風になっているのかというのは、面白そうだな、と。だから、(安岡プロの)「知識班」とは関心が重なっていると思うけど。
林:まず、アフリカ南部のブッシュマンがいるところと、ピグミーがいる熱帯地域では状況は異なると思います。カメルーンの南東部でもNGOとか教育の入り方が地域によって異なるんですよね。私がもともと調査をしていたドンゴ(コンゴ共和国との国境沿い)とか、安岡さんの調査地であるズーラボットとかには、(2000年前後には)そんなには入っていなかった。今ではどうかわかりませんが、現在メインで調査を行っているロミエとかでは大きな街に近いということもあって、昔からいろいろ動きがあって、教育などでも各機関などからのサポートがあったようです。
安岡:あと、ボスケなんかも、古くからカトリック・ミッションが入っていて、バカ語の辞書なんかも作られてきましたね。ブッシュマンて、修士を取得した人がたくさんいたりとか、教育水準が高い気がしますが、バカにもそういう人たちがいるのかな、というは気になります。ボスケのあたりのバカは、中学校を出ている人もたくさんいるみたいですが、さらに上の学校まで進学している人もいるんでしょうかね…。
林:私は会ったことないですね。
安岡:いずれにしても地域によっては、昔からカトリック・ミッションやNGOのサポートがあったりしますね。
高田:ミッションの辞書を作った方(Robert Brissonさん)は、今もご存命?
安岡:いや、たぶんもう亡くなっていると思います。YouTubeに映像が残っているのを観たことがあるんですけど。このまえ、Jeromeさん(University College London)と一緒に村の前を通ったんで、「ここがBrissonの…」という話をして、「YouTubeで見たんだけど、まだ存命ですか?」って尋ねたら、「いや、それはないだろう」という返事でした。
林:少し話を戻しますけど、先ほど、安岡さんのフィールドでは学校はないと仰っていましたけど…?
安岡:ぼくのフィールド(ズーラボット・アンシアン村)では、学校の建物はあるけど、先生がいない。建物は、伐採会社が提供した板で造ったんだけど。先生が来さえすれば、やるんだけど、来たとしても病気になったりして、すぐいなくなりそうです。
林:ほかにグリベとか他のフィールドでバカの子どもたちが教育を受けているという現場は、みたことがありますか?
安岡:ズーラボットではじっさいに授業を受けている場面は見たことないですね。田中さんが調査をしている隣村のガトー・アンシアンは、先生がいて、田中さんが見に行ってたんじゃないかな?
林:おそらく、私とか安岡さんは、学校教育というよりは、森でどういったことを学ぶのか、ということに関心が強いと思うんですよね。
安岡:それはそうですね。
高田:学校で教えるというのもやりたいんやけど、ブッシュマンのところもそやけど、授業って難しい。幼稚園にしても。カリキュラムで「今日はPをやります」って言って、ずっと「P」の単語を言わして、「じゃあ、あしたはQです」って、それでずうっとそれでモチベーションを維持するのは大変で。それで、やる方も、ずっと子どもの注意を引き続けて、生き生きとさせるって、まあ、教えるのは難しいけど。でも、学校といって建物が建つとか、先生を雇うお金がつくとかぐらいで、コンテンツまで考えてくれるところって少ないから、プロジェクトでも。
安岡:ズーラボットでは、ある年代の人だけ、いま40歳前後くらいの人だけ、けっこうフランス語ができる人がいるんですよ。なぜかというと、その人らが子どもの時に先生が来て学校があったようです。その人が死んじゃって、そのあと代わりの人が来なかったんですね。だから、その世代の人はわりとちゃんとしたフランス語を話すのですが、それより下は、もうぐじゃぐじゃな感じですね。
ただ、この地域ではスワヒリ語とかリンガラ語みたいな現地のメジャーな言語がないから、フランス語は民族間の共通語で、商売の言語なので、フランス語を学ぶモチベーションは、それなりにあります。町から来た商人とかと話すときはフランス語になるから。スワヒリ語とかリンガラ語圏では、どうなんでしょう?
高田:小学校3年生ぐらいまでは現地語っていうのは、わりと推奨されているけど、少数言語がいくつもある地域が多いから、予算的にも教員確保的にもなかなか難しくって、地域に拠るって感じかね。
(3)ミッショナリー、NGO、国家と“教育”
林:いま安岡さんが仰ったような、ある世代だと教育を受けてフランス語を話すと。その家族とか集落に波及していくようなことはありますか?
安岡:同じレベルでのフランス語が、っていうのはあんまりない気がしますね。フランス語自体は、そのうち耳で覚えるから、子どもたちでもだんだんしゃべるようになっているんだけど、そのある世代の人たちのようにはしゃべっていない。
高田:歴史的にみたときには、カトリックがけっこう強いんだっけ?
安岡:そうですね。
高田:ミッションが主導しているのと、政府が主導するのってずいぶん学校の性格も変わってくるやんか。僕が行っているナミビアなんかは、独立前後でガラッと学校のやることなんかが変わっちゃたんだけど、そういうのカメルーンでは?
安岡:それは、あんまり知らないなぁ。
林:ミッションと政府では、おそらくだいぶん違うでしょうね。
高田:聖書の時間とかすごい長いこと取ったり、実用的な農業の時間とかをすごいとってあったりとか。
安岡:教科書は見たことがあるんですけど、バカが森で採集しているところとか、農作業をしているところとか、そういった場面の4コマ漫画みたいな絵が描いてあって、「これをフランス語でなんて言う?」みたいなやつですね。そういうのとは違っているんですか? それはNGOが作ったものだと思います。
林:NGOの影響は大きいですね。Messeさんのところ(Association Okani)のところもそうだし、最近、ロミエで見た国際NGOの援助を受けつつ、地元のNGOが就学前のバカの子どもたちにバカ語を教える。なんか保育園みたいなイメージで。2020年だったかな、コロナ禍前にみたことがあります。それは政府とかミッションとかとは違う路線だと思います。
安岡:そういうのって、少数民族の知識とか言語が近代化のなかで消え去りそうなところで、それを保存しなければ、っていうモチベーションのNGOとかもいるじゃないですか。ぼくらの地域では、まだ、消滅しそうな知識や言語を保存するためのサポートっていうのは、あんまり必要ないかもしれないなぁ、っていう気がするんですけど。
高田:ある程度、自立しているから…。
安岡:まぁ「ぼくらの」っていうのは、もちろんバカ全体のことではなくて、ぼくがフィールドワークをしている地域では、ということですけどね。バカのなかでも、たとえばもっと町に近いところでは、地域内でみたら、そのような状況の人がいるかもしれないんですけど。
高田:…危機を身近に感じるような…。
安岡:…感じじゃないなぁって。
高田:人口もだいぶん違うよね?何万人かおるよね、バカ・ピグミー。
安岡:それ、わかんないんですよね。1980年くらいの人口調査で3万から4万くらいという数字があって、みんなそれを引用しているんですが、そのあと民族ごとのセンサスがないから、いまどれくらいの人口なのかは、誰にもわかりません。40年前で3万から4万人だと、いまはだいぶ増えている可能性もあります。
高田:バカだけで、ということ?
安岡:バカだけで。
高田:サンと比べたら多いね。
杉山:言語学者の中川さんに拠ると、サンの言語は自然な言語の変化というよりは、衰弱に向かっているのは間違いないと…。
安岡:それは何に、カラハリ(語)とかに吸収されるの?
杉山:ツワナ語
安岡:そうですか。
高田:サンは多いとこでも5,000人とかかなぁ。
安岡:ツワナ語って国の言葉、国語ですよね? バカだと、それはフランス語になりますね。でも、バカたちの話す言葉がフランス語になるとは思えない。じゃあフランス語にはならないとして、バカ全体が吸収されるような言語があるかっていうと、ないですね。人数でいうとバカ語の方がマジョリティの言語で、農耕民のほうがバラバラだから、っていうのもありますよね。バカが分布している地域には、15とか20の農耕民がいるんですが、バカに対するマジョリティの言語ってないんですね。 ただ、農耕民の言語は、だいたいバントゥー系なので、たがいに似てますけど。
2.狩猟採集民と農牧民の多様性
(1)農牧民についての研究
林:高田さんの科研のタイトルが、「狩猟採集民と農牧民のコンタクトゾーンにおける」ってついていますけど、そういう意味で、明らかに違う。安岡さんが言ったように、南部アフリカと違って中央アフリカの場合は、付き合っている農耕民・農牧民がすごく多様なんですよ。
安岡:ちっちゃい民族がいっぱいいるっていう感じですかね。それらの農耕民どうしのがどういう関係かっていうのは、ぼくはあんまりわかんない。
高田:こんだけ長く調査されてるけど、意外にそっちにフォーカス充てた方は少ないんやね。
安岡:だいたいは農耕民の研究をしてるって言っても、農耕民のあるひとつの民族だから。
林:同じバカを対象と研究者でも、地域によって付き合っている農耕民が違うから、どこどこの農耕民は意地悪だ、とかいう話しは聞きます。そういう情報交換で、農耕民の特性を聞いたりしますね。
(2)森と“教育”
高田:あの、学校じゃなくて森との関わりで、変化を感じる?長いこと行っていて。
安岡:ズーラボット村では、やはり国立公園にまるごとすっぽり入っちゃったのは、かなりの影響があります。村から5キロ歩いたらもう国立公園で、そこでキャンプすることは禁止ってことになっているから、恐る恐る生活していますね。いままで使っていた土地の95パーセントが国立公園なので、だから普通に生活していたら、必然的に国立公園に入ることになるんですね。たまにエコガードが来て、追い出されるっていうのを怖がってますね。まあ、パトロールはたまにしかないから、ばったりエコガードと出会ってしまったら、運が悪かったというかんじですね。だから、実態としては、あんまり変わっていないといえるかもしれませんね。
高田:見つかるとなんか罰則があるの?
安岡:例えば、(罠に使う)ワイヤーを全部取り上げられたりとか、キャンプはみんな壊されて。
高田:本当?結構深刻…。
安岡:まぁ、小屋といっても細い木を組んで葉っぱをひっかけただけのモングルなんで、すぐに作れますが。グリベでは、国立公園と村のあいだにサファリハンティングのエリアがあるんですが、サファリ会社のパトロール隊はもっと乱暴みたいですね。
林:あと、暴力事件なんかも起きてて、人権問題として取り上げられたりもしますね。
安岡:それはサファリ会社が営業しているときに、パトロール隊を組んで民兵団を雇ってパトロールしています。
林:子どもたちが村にいるよりは、森に行って一緒に狩猟採集とかを学びたがるかみたいなところはどうですか?
安岡:学びたがるか、っていうか、日常生活のなりゆきなかで子どもも森のキャンプに行ってますね。そのような生活が、まだ維持されています。
林:そこでいわゆる民俗知識とか技術といったものも実践されていく?
安岡:そうですよね。…だから僕も、もうちょっとそうじゃない地域でみてみるのも、この機会にいいかな、という気もしますけどね。
高田:サンが行くときの狩猟と違って、(子どもが)一緒について行きやすい感じ?採集の方は行けるけど、狩猟だと足手まといになり易いし。
安岡:馬に乗ったりとかですか?
高田:ロバや馬だったら、10代半ば以上じゃないとなかなか難しい。
林:バカの場合は、基本は罠(猟)ですし。
安岡:罠もそうですし、ゾウ狩りにもついていきますね。いまはゾウ狩りはほとんどありませんが。
林:それは(ゾウが)捕れてからではなくて?
安岡:捕れる前です。鉄砲をもっているのは一人ですけど、鉄砲以外にみんな槍を持って参加します。多いときには20人くらいになります。10歳とかそれ以下の子どももついていきます。ゾウ狩りといっても、ゾウの足跡を探して森のなかを歩くのが、そのほとんどです。ゾウを見つけて、これから撃つぞ、という段階になると子どもたちは木に登って待機します。ぼくも一緒に木に登りました。もちろん、いまでは、さすがにゾウ狩りの取り締まりは厳しくなっていて、見つかったら大変なことになるので、ほとんどやっていません。かりにやるにしても少人数の大人だけで狩りに行くのがほとんどです。
高田:サンやったら、弓矢猟で足跡をちゃんと見ないとあかんから、わりあい慎重に足の歩みを進めるという感じやと、そんな大集団でぞろぞろという感じにはならへんけど。まぁ、(バカの)掻い出し漁とかだと一緒にみんなで行く、みたいな感じだし、いろんな猟/漁のバリエーションがあっていいね(?)。
安岡:あと狩猟でも採集でも、蜂蜜を探すのは重要で、蜂蜜採集では子どもも活躍しますね。
高田:貢献できるよね(笑)
安岡:木に登って。身軽だし、っていうのもありますね。
3.基盤Sプロジェクトと安岡さん
(1)今後の展開
林:高田さんとの共同研究についてお伺いします。これまで、安岡さんと高田さんは、このASAFASなど近い環境で長年研究されてきたと思うんですけど、今回(基盤S)や安岡さんのSATREPSのように、同じプロジェクトで共同研究というのは過去にも何度かあったんですかね?
安岡:いや、SATREPSのメンバーに入っていただいて、ぼくも基盤Sに入ったというのが、ここ最近のからみですね。ただ、市川さんや木村さんのプロジェクトに一緒に入っていたりとか、そういうことはありましたか?
高田:どうだったかな?(笑)
林:高田さんはもともと、心理学とか子どもの養育とかがご専門ということもあって、同じ狩猟採集民研究、生態人類学といっても方向性は違うんでしょうけど、例えば、伊谷(純一郎)先生のお弟子さんである田中二郎さんと市川さんが生態人類学を牽引していくなかで、お互いのフィールドについての情報交換なり、それを論文に書いたりとかあったと思うんですけど、今度、そういうような動きとかは想定されているんですか?
安岡:いや、まぁ、今後っていうか、この基盤Sで、ということですかね(笑)。
林:そうですね(笑)。どういう感じでコラボレーションをされていくのか、イメージを伺いたいなと。
高田:いろんな接点があるんだけど、「知識」とか「生態」とか。あと「子ども」もあるかもしれんし。
安岡:ぼくのいままでのフィールドワークは、バカの生活に一緒について行って、彼らの「生き方」を大づかみに把握するようなデータを取る、というスタイルだったんで、たとえば、ある場面に焦点をあてて、その場面のビデオを細かく分析するみたいな研究はやってないんですね。そういうのもやってみたいな、という気はします。
高田:バカ語も一緒に勉強したしね(笑)
(2)サンとバカの生活
林:高田さんはこれまで何度かカメルーンには行かれてて、今年の2月には私も少しご一緒しましたが、安岡さんも2016年に2週間程度ですけど、丸山さんと市川さんとナミビアに行かれて、ブッシュマンの集落に行かれたんですよね?
安岡:行きました。ブッシュを歩くツアーに参加したりしました。
高田:ナミビアのどこ?
安岡:北西ですね。国境の辺まで行きましたよ。ボツワナの。飛び出ているところまでは行ってなくて、Thomas Widlokさん(University of Cologne)とかが行ってる辺りじゃないですか?
高田:チンツァビスあたりかな?
安岡:ぼくはほとんど運転手で、はじめてブッシュマンを見る、というのが最大の目的でした。
林:サンですよね?サンの集落などにも滞在されたんですか?
安岡:いや、集落っていうか、観光キャンプみたいなところに行きました。そこの人たちと車に乗ってすこし離れたところに行って、一緒にブッシュを歩く、みたいな感じのところでした。
高田:そういう施設あるね。
安岡:まぁ、いわゆるエコツーリズムですね。丸山さんがそういうテーマの科研をしていました。
林:なかなかピグミーとブッシュマンを両方見ている研究者はいないと思うんですけど、印象はどうでしたか?
安岡:まぁ、顔は違いますよね(笑)。ピグミーは目がくりくりっとしていて、ブッシュマンは細いですよね。どちらかというと、ぼくはブッシュマンよりですけど(笑)。
高田:向こうも思ってたかもしれんな(笑)
安岡:杉山さんとかもそうじゃない?
杉山:あぁ、言われる(笑)
林:生業を見るとか、日常生活を見るとかは…?
安岡:まぁ、木村さんとかも言っていたように「押しの強さ」をほとんど感じないような、そういったところとかはありますよね。
林:それは、なんか「狩猟採集民的」ということですか?
安岡:…アフリカの狩猟採集民的、なんじゃないですか。
高田:わちゃわちゃっとしている感じ、やろ?
林:逆に、高田さんがピグミーを見たときに、ある種の、ブッシュマンとの共通点や大きな違いとか、印象的なことはありましたか?
高田:違いというか…。僕らが行っている、杉山さんもそうだけど、「元」狩猟採集民みたいな状況になっているから、カメルーンに行ったら「わぁ!狩猟採集民や!」みたいな(笑)。「めっちゃ(狩猟採集)やってるやん!」。狩猟がほんと生活の一部になってるなぁ、ってのを。もちろん、サンも(狩猟を)やるんやけど、こっそりやったり、一部の人がおびえながらやったり。昔やってたことを、思い出してやってみたり。…みたいな文脈が多くなっているから。そうじゃなくて、「みんなが狩猟」って思っているすごさ…
林:だからこそ、(プロジェクトのテーマにある)カメルーンにおいては生態学的知識と伝統的知識ってところに焦点があるっていうか。
高田:そうやね、その違いが何から出てくるのかってね。変化から来ているのか、もともとやっぱ違うのか。環境、森と草原ていう環境が違うのか、まあ、全部関係してそうな気がするけど。
安岡:その、動物の場合は、ボツワナでもナミビアでも、いるのはいるんですか?
高田:まぁ、定住地がすごくおっきくなっちゃったから、その付近にはあまりね、基本的には。もともとサバンナ、っていうかステップ(気候)やから、動物相も密度が低いから、自分で探しに行かんとなかなか捕まらへん、ちゅう…。
安岡:群れるやつはいないんですか? ヌーとか?
高田:ゲムズボックとか。でもゲムズボックっていっても、数頭、やん?
安岡:ああ、そうですか。
高田:それを馬で追い詰めて、っていうのはできるけど、馬猟(騎馬猟)になると僕らはもうついていかれへんから、そう微細に観察できへんけど。まぁ、それですごく捕れていたときで、1日5頭とか。
安岡:5頭というのは、その狩猟団のなかで5頭?
高田:うん、数人の狩猟団で。
安岡:5頭って、多いですよね。
高田:やっぱ馬の機動力は、ゲムズボックを完全に上回っているから。でも、むかしの弓矢猟やったら、一頭で手一杯。一頭も捕れないことのほうが多いくらいだけど。
安岡:ぼくらのところでは、鉄砲があるのと、罠のワイヤーですよね。でも、馬のような機動力を大きく向上させるテクノロジーはないですね。それが大きな制限要因ではありますね。
高田:あれ?犬ってぜんぜん使わへんのやっけ?
安岡:います。槍猟の時にバカたちが獲物にそっと近づいて槍を投げ刺すんですけど、一撃で死ななかったり、槍は外れたりすると、獲物がババッと逃げていきます。それを犬が追いかけていって、噛みついて足止めします。そういうのはあリます。
林:そういえば、20年くらい前に、私の調査地に安岡君が来たんですよ。私の調査地には犬が結構いて、安岡君が(自分の)村に戻るときに「僕のとこには犬がいないから、一匹もらってっていいですか?」って言って、一番凶暴そうな子犬を持って行ったんですよ。それが、すごい立派な猟犬になったって聞いて。動物も捕まえるんだけど、人にも噛みつくって(笑)。
安岡:そう。20頭くらいイノシシを捕まえました。最後はイノシシに腹をやられて死んだみたいですね。
高田:犬、見たことある?猟のときの(→杉山さんに向けて)。びっくりするよ。あんなよたよたして死にそうなのが、ものすごい生き生きして走って、獲物を「バァー!」っと追い詰めていって、隅っこの方に動けんように。「ワンワンワンワン!」て。
林:それはいつぐらいにご覧になったんですか?
高田:いつかな?そんなに昔じゃない。もう、ニューカデに移住してから。
安岡:相手は何ですか?
高田:そん時は、ステインボックか何かやから、ま、ちっちゃい。
杉山:人間もそんな感じかもしれない。ふだん飲んだくれて…。
林:バカでも、村ではふらふら飲んだくれて、ぜんぜんダメだなっていう人に限って、森に行くといろいろ知っていたりとか、生き生きする。よくいますよね。
(3)サンとバカの子育て
林:現地(カメルーン)に行かれてて、バカの子育てであるとか、そういうのを見る機会が多いですよね。研究とは別の話でもいいんですけど、彼らの子育てや子どもの相互行為を見たときになにか感じたこととかありますか?
安岡:ある年齢で、こちらを見たら「うぇーっ!」って泣く子どもがいるじゃないですか。ちょっと見るだけでも「うゎー!」って泣きながら母親とかの後ろに隠れてしまって。それがある年齢をこえると、ぜんぜん怖がらなくなるんですが、その境目って、わりとはっきりある感じがします。
林:いくつぐらい?
安岡:歩き始めるぐらいで、まだよたよたって歩いているぐらいの時は、一番怖がりますよね。小さすぎると、まだ怖がらないんだけど。
林:いわゆる「人見知り」というのとは違うんですか?
安岡:人見知りだけど、いわゆる「白人」ていうか、黒くない人を怖がる感じ。知らない人ひとでも現地の農耕民とかだったら怖たぶん2歳ぐらいだと思うんですけど。すごく怖がりますね。
林:確かに、私も経験あります。なんかあるんですかね?
高田:あるけど…。相手の行動を予期できないっていうのが一番おっきいから。普通、お母さんとか家族とかがいるときとか……(?) あんまみたことのない人で、自分の知っている言葉でしゃべってなくて、何するかはわからん、ていうのは怖い。なので、何するかわかりやすくしてやると、同じこと繰り返したりしていると、わりと近寄って来たりするよ。
林:それはバカに限らず、サンに限らず、日本人なんかでもそうなんですかね?
高田:そう、人の個体認識ができるようになるっていうのと、まあ、連動はしているから、6ヶ月くらいまでだと誰にでも笑いかけるとかあり得るけど、10ヶ月ともなってくると、言葉はしゃべれんくても個体認識してるから、お母さんとお父さんは違うし、お父さんとまた隣のおじさんはまた違うし、ってなると、お父さんなら予期できるけどおじさんなら予期できないっていうのが、より際立つ。
安岡:そういうときに、カテゴリー化、つまり個体識別よりは上のレベルで、バカなのかとか農耕民なのかとか、あるいは白人なのか、といった区別は、すぐにできるようになるんですかね。
高田:それ自体が研究のテーマになると思うけど、たぶん、子どもの認識として上からこう延びる(?)…じゃなくて、下から「いっつもいる、この人」「いつもちょっと端にいる人」、ってだんだんそれが広がっていくんだと思うから、そんなきれいなヒエラルキーにはなってないと思う。
安岡:その、なんて言うか、もう「お化けを見た!」みたいな感じで怖がる子。ちょっと知らないひとがいて怖いかな、みたいじゃなくて、もう見た瞬間に「ギャー!」ってなる感じ。
(4)社会性の習得
林:若干、安岡さんのご家庭にも踏み込む話になりますけど、安岡さんにはお子さんが3人いて、研究活動をするなかで子育てもされてきたと思うんですけど、狩猟採集民の子育てとか子どもの相互行為をみてきて、ご自身や奥さんの四方さんも含めて、何か反映されることとかありますか?
安岡:子どもを見ていると、や、うちの子どもがそうなのかだけかもしれないけど、すごい利己的ですよね。
一堂:(笑)
高田:子は親をみて育つ…(笑)。
安岡:まぁ。利己的である、っていうのは、平等であることを要求するっていう側面もありますね。
林:それは3人ともそうなの?
安岡:とくに、男ふたりはそうですね。「なんでそっちにそれがあって、こっちにないの」とか、お菓子とかが一個しかないときに、一人が先にそれを取ってしまったあとに、もう一人がそれに気づくと、「明日買ってくる」って言ってもおさまらないわけですよ。兄ちゃんであれ、弟であれ。「自分には今ないのか」って。それはある意味で正当な要求かもしれないですけど。バカとかだったら、お菓子を割って分けるっていうのは普通にあるんだけど、そこにもうちょっと別の要素が入っていて「これはもう、オレが取ったから、もうオレのもの」とか、あるいは「昨日はお前が食べたから今日はオレのもの」とか、いろんな理屈をこねて自分のものであることを正当化するわけです。バカは、あんまりそういう正当化はしませんね。その場で分けますね。ブッシュマンってそう?
杉山:見えてるものは、みんなのもの。
安岡:分けるよな。
杉山:でも、見えてないものは知らない。
安岡:そりゃそうだけど、ここに「これしかない」というときに、それをどらち一方が食べるか。あるいは分けよるとするか。それは何によって決まるんですかね。遺伝ですかね。
一堂:(笑)
高田:うちの子、とかさ、1歳2歳のときに、…(?)「パパとママにちょうだい」っていうとさ、ほんのほんのちょびっとだけくれてた。
安岡:とりあえず、分けるっていう行為は、どうやって学んでいるのか、あるいは最初からやっているのかってのは、よくわかっていないですよね。
高田:重要なテーマやね。だってチンパンジーは分けへんねんからな。
林:食物分配っていうのは、よく知られてますけど…。
安岡:収穫してきたものを分けるってのは、ありますよね。だけど、いま食べようと思って手に持ったものを分けるかっていうと、分けないと思うんですよ。たとえばふつうの日本人は。あるいは、ほとんどの人は。いや、わかんないけど。それを分けるという選択肢が出てくるのは、学んでいるのか、どうなのか、よくわかりません。
高田:研究あるよ。なんか、4歳くらいで分けるやつ。世界的にそう。
だから、利己じゃない、道徳的なものをクリティカルな時期としていわれた…(?)
安岡:それって、計算ずくで、長期展望に基づく計算で分ける場合と、なんとなく相手の気分を察して「一緒に分けて食べようね」っていう場合は、ちょっと違うなって思うんですけど、どっちなんでしょうか。
高田:いろんなもんが連動してて、4歳ゆうたら、よく言われる「心の理論」が出現する年代やから、相手がなんかの感情を持っている、「欲しいと思っている」と頭でわかる歳でもある。「安岡が欲しいと思っている」「あげないときっと怒る」…そんぐらいの推論が成り立つ。あと同じように4歳ゆうたら、園田君とかがやってるインストラクティブ・ラーニングっていって、幼稚園イメージしたらいいと思うけど、誰かひとり先生がいてその先生の言うことにみんなが従うってことができるようになる歳で、先生が「分けなさい」って言ったら、「ちぇ」って言いながらも分けるようになる。…
林:うちは、子どもはひとりなんですけど、何か自分で「ちょうだい」って言って独占するっていう記憶があまりないんですよね。むしろ、自分の持っているものを「食べる?」ってみずからあげる、というような。
安岡:それは、対等なライバルがいないからですね。
林:そうですね、それは兄弟がいないからとか、そういう環境だからかなと思いますね。
安岡:でも、それは相手の気分とか感情がわかるからこそ、あえて嫌がらせをするとか、そういうのも出てくるわけです。「やつは欲しいと思ってる。でも、このまえオレが欲しいときにくれなかったから、イヤだ」っていうところとか。兄弟っていうのはそういうもんです(笑)。
林:そういうのを見たときに、(狩猟採集民の)平等主義的なものと全然違うな、と思ったりするんですか?
安岡:全然違うっていうか、二つの考え方がありそうです。まず、他人の感情を推測できるようになるとしぜんに分けることがデフォルトなる、という考えがあって、それが別の要因によって抑圧されているのか、あるいは「これはオレのだからおまえにはやらん!」というのがデフォルトであって、何らかのプレッシャーがあって分けるようになるのか、どちらなのか、ということです。素朴に考えると、狩猟採集民では分けることがデフォルトだから、人類みんな、そっちがデフォルトだ、みたいになっちゃうかもしれないけど、そうとは限らないんじゃないでしょうか。「自分のものは、自分のもの」みたいなのがデフォルトかもしれません。だって、たぶんチンパンジーとかはそうですから。
林:いまの話しに関連するかわかりませんが、安岡さんが最近書かれた論文で「狩猟採集民の〈生き方〉とストレス」というので…。
安岡:あ、それはわりと適当な話を書きました(笑)。
林:内容については、基本的に労働に対するストレス、ということで。
安岡:そうですね。
林:人間関係におけるストレス、ではない。
安岡:ブッシュマンのところでフィールドワークをした丸山さんが、おもしろいことを書いていて、開発政策にたずさわる人がブッシュマンがにたいして「牛を飼育しなさい」とか指導するんですが、ブッシュマンはそういう人のことを「ひとつのこと」っていうあだ名をつけて、ちょっと馬鹿にしているそうなんですね。ざっくりいうと、農耕というのは狩猟採集とくらべて「ひとつのこと」をする傾向が強いわけです。そうするとすくなくともブッシュマンやピグミーは(社会的にであれ、環境条件によってであれ)ひとつのことをするのを強要されると、ストレスが大きくなるんじゃないか、という気がします。狩猟採集民は「狩猟」と「採集」をする人というより、いろんなことをするって考えた方がいいんじゃないですかね。
高田:その点では“Forage”の「採集」って、なかなか良い訳だね
安岡:もちろん、狩猟採集生活でも、想定どおりいかない、というストレスはあると思いますけど。つまり、「ひとつのこと」をする傾向の生業と「いろんなこと」をする傾向の生業って考えると、どちらもそれぞれのストレスのあり方がある。でもどちらかというと「ひとつのこと」をするのって、わりとストレスが高いんじゃないか、って思いますけどね。
高田:丸山には(笑)
林:いまの話しは、関連があるとしたら学校教育で、さっき「PのあとはQ」の話がありましたけど、なにかひとつのこと、決められたことをする、というのに繋がりますかね。
安岡:気分がのらないときに「じゃあ、こっちにしよう」と、いつでも自由にふるまいを変えられるのと、長期的プランにもとづいて「ひとつのこと」をやりつづけるのって、たぶん根本的な性質の違いで、「いま、これをやる時間」とか「これをしなさい」とずっとそれをやらせるのは、かなり大変なことじゃないかと思います。そういうことをしない人たちが狩猟採集民として残っているんじゃないでしょうかね。はんたいに、近代化のなかでは「ひとつのこと」をし続けるプレッシャーってどんどん強くなってきた傾向があると思うんですけど、いま逆に、いちおうお金さえあれば何でも食べられる(3000円くらいあれば、わりと何でも食べることができる)っていう感じになっていますよね。もちろん、そのお金を稼ぐためには何かをしなきゃいけない、っているのはありますけど。いずれにしても、狩猟採集生活から農耕生活、近代社会への移行では、いったん「ひとつのこと」にぎゅっと集中しなきゃいけない時期があったんですが、そういう時期を経て「ひとつのこと」ができない人たちが広まっていく余地が、もしかすると、ちょっと増えているのかもしれない。
高田:「都市ノマド」みたいな…。なんかあの、大河ドラマとか見てたら、めっちゃ忍者に共感する。あれ、狩猟採集民やなぁ、て。でも、たぶん軍団のなかではじっとしていて、でもなんかいろいろ調べてきて伝えてくれて…。
安岡:日本にも「山の人」っていうのがいて、わりと中世ぐらいまで、山の中を渡り歩いている人がいたっていう話ですよね。柳田国男とか書いているの、ありますよね。そういうのじゃないんですか?その、忍者っていうのは。
高田:われわれが作ったイメージがだいぶ先行してしまったけど、実は、バカやグイみたいなひとたちが結構おったかもしれない。楽しいひとたちもおったんちゃうかな。
林:バカの人たちも、伐採会社には忍者のような感じで(森の案内役として)雇われたりしていましたよね。
4.今後について
林:いま、SATREPSの大きなプロジェクトが終えるところにきていて、高田さんのプロジェクトのメンバーでもあられますけど、ご自身の研究人生におけるプロジェクトの位置づけとしてどういう風に考えていらっしゃいますか?
安岡:それは難しいなぁ(笑)。
高田:まぁ、これに限らず、50歳を前にして、安岡宏和博士語る(笑)。
安岡:ひとつ思っているのは、ぼくのこれまでのフィールドっていうのは、基本的には地域レベルでいうと一つなんですよね。カメルーン東南部という意味で。まあ、村はいくつか、広げてはいるけど。博士論文の研究からずっとおなじ地域でやっているっていう感じなんすね。あと20年くらいフィールドワークをするとすれば、もう一つ新しいフィールドを開拓したいですね。カメルーンでは2001年からやってるんで、いま23年ですね。そうすると、あと同じくらいあるわけなので、なんとかなりそうな気もします。
高田:Wild Yam QuestionをWild Bii Question にしたらしんどそうやな(笑)。うちら(南部アフリカ)のとこにある、イモ。Biiっていうんやけど。スイカと同じくらい重要で、水分補給のため、でかい、こんぐらいあるんだけどな(※ジェスチャー)。
安岡:何の種類ですか?
高田:野生やからいくつもバリエーションあるんやけど、あれ、ついていった方がすごい大変だと思う。
林:池谷さんが出ていたNHKの映像で、大きなイモを山羊とかに与えているのを観ました。
高田:いまは水(※給水車や井戸)が利用できるから。むかしは、イモも絞って…。
安岡:ブッシュマンていうのはもちろん興味深いですけど、バカのところでは狩猟採集と農耕をやってるんですが、牧畜ってないんですよね。農耕民がヤギとかブタをちょっと飼っているくらいで。だから牧畜民のところに行ってみたいな、っていうのがありますね。
林:具体的には、行ってみたいところとか?
安岡:いや、ありませんね。最近、牧畜民のいるところは治安が悪いところがおおくて行きにくいですね。西アフリカだと、最近行けないところが多いですね。南の方はどうですか?
高田:行ける行ける。カオコランドのヒンバの住んでいるあたり。僕、ここ数年、何回か行ったけど。思った以上に、牧畜をしっかりとやってた。
安岡:そうですか。…じゃあ、南に行こうかな。
一堂:笑
安岡:いずれにしても、狩猟採集から農耕、牧畜まで、生態人類学でおもな対象にしてきた生業を全部みてみたいっていうのがありますね。
高田:うん、院生さんもいい仕事しようとしているし、いいんちゃう。
安岡:その南部アフリカの牧畜というのは、ランチングみたいなのじゃなくて、遊牧的な感じですか?
高田:うーん、まぁミックスされているけどね。でもやっぱりハウスヘッドみたいな人の決定権すっごいおっきいし、全然こう、統合されている感がなくて。やっぱりこれって、牧畜民的なんやなぁ、って思う。
林:熱帯林で他の地域とかは…?
安岡:ああ、そういうのもありますね。地球研のプロジェクトでは、コロンビアとカメルーン、あとガボン、コンゴ、それとインドネシアのボルネオがフィールドに入っています。赤道近辺の熱帯雨林をグルッと回るかんじですね。それを横軸とすると、アフリカの異なる環境に手を広げるのが縦軸というかんじでしょうか。
高田:中米の方もすごそうやな。綺麗そうやし(笑)。いやー、そんなとこ行ってみたいわ(笑)。
林: 20年弱、定年までを考えるには時間があるし…。
安岡:そうですね。
林:では最後に、このプロジェクト中に、安岡さんならではの成果とかのイメージは?
安岡:なんか、前に本を(成果として)企画するようなことを言ってましたよね。
高田:カメルーンでひとつ。
安岡:テーマごとと地域ごとという感じだったんじゃ…。
高田:できたらマトリクスにしたいけど。テーマで3(冊)、地域で3(冊)。
安岡:そうか。ぼくの場合は、カメルーンの方に書けばいいって感じですか。
高田:ま、共編にするとか(笑)
安岡:とはいえ、他人に論文を書いてもらう、っていうのは大変ですよね。
高田:自分で書く方が楽や(笑)。ようわかる。
安岡:太田さんとか、アフリカ潜在力シリーズで、どうやってあんなにたくさんの人の論文を収録した本を出したんですかね?
高田:やっぱり、ある程度の強権と、圧倒的にちゃんとやる!っていう…。太田さんなんか、全部赤入れるやんか。あれだけ入れられたら、しょうがないわ(笑)。
安岡:ぼくの感覚では半分くらい脱落しそうですけどね。書く人はちゃちゃっと書いてくれるけど、書かない人もたくさんいて、それをみんなで出させるって、どうやってやるのかって、むずかしいですね。狩猟採集民には無理ですね(笑)。
一堂:笑
高田:逆に、狩猟採集民研究者は、みんな「忍者」やから、それぞれの技を尊重したらよくて、「あ、別の班にいたのね」(笑)みたいなのとか…。所属性って大事やから、「抜けるんなら腕一本置いてけや」みたいな世界…(笑)。なので、テーマはいっぱいやっているけど、最初とできあがったものがすごい違うイメージになること多いよね。
安岡:何か論文を書くときに、自分で直接集めたデータで原著論文を書くっているパターンと、もうちょっと、いろんな人の研究をもとにメタ分析とかレビュー的な論文もあると思うんですけど、このプロジェクトで期待されていることとしては、生データにもとづく論文を書くとなると、ぼく自身は教育とか子どもの行動についてのデータは持っていないから、これからデータをとる必要がありますね。
高田:むしろ長く関わっているからこその、何世代もの蓄積を見ているわけだから、むこうの人や社会の変化、あるいは調査者と調査地の関わりも記録していきたいね。これやって、何十年も直接見ているし、市川さんの代まで遡ればもっと長いわけやから、ナミビアもカメルーンも、うちらの京大のチームの特色でもあるから、そういう生き証人として(笑)。
林:安岡さんはやっぱり、(カメルーン、アフリカ熱帯研究として)市川さんから寺嶋先生とかもそうだし、長く見ているので、そのあたりを…。
高田:世代を繋ぎたいな。二郎さんや市川さんの時代と、杉山さんたちの年代との間にいるわけやから。
林:むしろ、書いて頂いたら読んでみたい気がする。学校教育とか、教育への問題意識を、安岡さんなりに加えて頂けるといいんじゃないかなぁ、と。
安岡:なるほど。あと3年ですか?まあ何とかなるでしょう(笑)。
高田:まあ、教育とか言わんでも、そこら辺にいるおっちゃんとかおばちゃんとかの子どもだったときとか知ってるやろ?「あんな子どもやったのにー!」それだけで十分(笑)。どんな立派になっているとか、ダメになっているとか(笑)。
林:安岡さんの長くやっているフィールドっていうのは、あまり学校教育のデータがないことが、逆に強みでもあるなぁ、と聞いてて思いました。そこから見える視点というか。
*安岡宏和(2024)『生態人類学は挑むMONOGRAPH 10アンチ・ドムス 熱帯雨林のマルチピーシーズ歴史生態学』京都大学学術出版
おわり