人間の社会性について考えるために動物を観察するという試みは,これまで数多くなされてきました.中でも,ヒトと系統的にもっとも近縁な「進化の隣人」であるチンパンジーとヒトの間の進化的連続性については活発な議論があります.とりわけ,チンパンジーの身ぶりによるコミュニケーションがヒトの乳児のそれと類似していることや,チンパンジーの子どもが10歳ぐらいまで学習によって道具の操作を洗練させていくことは,言語の起源を考える上で重要視されています(Matsuzawa 1994; Tomasello & Camaioni 1997).ここで注目したいのは,飼育下のチンパンジーは,しばしば野生ではなかなかみられないパフォーマンスを行うことです.たとえば飼育下のチンパンジーは,ヒトの指さしの意味を理解したり,指し示す物の方向へ腕を差し伸べる「手差し」をみせたりします(Itakura 1996).また,野生より早い月齢で道具使用に成功した例も報告されています(友永・田中・松沢編 2003).こうしたパフォーマンスの標準的な解釈は,チンパンジーなら誰でもが持っている能力が特定の状況下で発揮された(松沢 2000)というものです.
おそらくその通りでしょう.ただし,そうしたパフォーマンスが「どういった状況で」「どのように」引き出されるのかは,それ自体が真剣な考察に値する問題です.しかしながら,この問題が論文の主題となることはほとんどありませんでした.そこで本研究では,以下のアプローチから上記の問題に迫ります.
飼育下のチンパンジーは,生活のさまざまな面でヒトと深い関わりを持っています.野生チンパンジーの研究でもしばしば,調査者が観察しやすいように,その存在に慣れさせる「ヒトづけ」が行われます.そこで本研究では,飼育下および野生でチンパンジーとヒトの相互行為を記録した動画資料を対象とし,相互行為分析(西阪 2008)という手法を用いることによって両者の行動が時間的にどのように組織化されているのか検討します.とくに,ヒトとチンパンジーが以下の3種類の記号論的資源(Goodwin 2000)を用いて相互に行動を調整し,相互行為的な能力を構成するプロセスを明らかにします.
身ぶり:チンパンジーが身ぶりを用いてコミュニケーションを行うことを示す研究はたくさんあります.一方,ヒトも身ぶりを通じてチンパンジーにさまざまなメッセージを伝えようとしています.
物:飼育下ではヒトからチンパンジーに食料をはじめとした物が受け渡されます.また野生では,群れごとに異なる物を加工し,道具として用いるという「文化」があることが知られています.
音声:チンパンジーは数種類の発声を状況によって使い分けることが知られています.またヒトはとくに飼育下ではチンパンジーにさまざまな声かけを行います.
文部科学省科学研究費補助金 挑戦的萌芽研究「種間相互理解:ヒト-チンパンジー間相互行為における能力の構成」
研究代表者: 高田 明 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・准教授)